3月まで名古屋大学という国立の大学に勤めていました。
20年以上,学生支援の仕事をしてきました。
学生支援というのは,入学試験の制度設計や運用のような入口から,就職や進路相談などの出口まで,それこそ履修相談とか学生生活のちょっとした相談とか,授業料の減免や奨学金などのお金の相談まで,あるいは留学とか実習とか,なんでも相談を受けるような仕事です。
相談を受けるのは学生さんたちだけではなくて,先生方や保護者の方,あるいは地域のひとたちとか学生支援をしたいと申し出てくれる企業とか個人事業主さんとか,それはそれは広範囲にわたります。窓口に立っていて,学生さんたちの話を聴くのは本当に楽しかったですね。
窓口にちょいちょい顔を出してくれる子たちは,ただちょっとした会話がしたいだけの学生さんから,いわゆる優等生,成績も優秀,かつ主体性と自律性をもって行動できる学生,そして反対に何かしら大きな問題を抱えているひと,ちっちゃな問題を抱えているひとたちで,どっちかというと真ん中というか,中間層の学生さんたちは学生支援の窓口には用事がない限りはあんまり来ないんですね。
特に用事がない子たちでも,学生支援の窓口の存在を知らないだけで(とりわけ用事がなければそもそも立ち寄らないし,立ち寄って急にちょっと相談,なんてことには普通はあんまりなりません),こっちが声を掛けてハマってくれると,授業の合間に顔を出してはヒラヒラと手を振ってひと微笑みだけして去っていく子たちもいました。
僕は医学部医学科に長く居たので,その時の学生さんたちと今でも交流がありますが,たまに一緒に呑みに行くとその時の学年の子たちの話が出ては,今どうしてるとか,彼と彼女はそのまま結婚したんですよー,えーそのまま!?とか,そういう昔話が出て,すごくワクワクするんです。今はコロナの関係でどうしても会ったりすることはできませんが(医療関係者の方々はやっぱり厳しい行動規範を自分に課しています),そういう何気ない時間が本当に好きなのです。
つまるところ僕はそういう人間関係を築くことができる仕事が好きでした。若者たちの明るい未来を(中高生のみなさん,大学生のみなさん!未来は本当に明るいんですよ,知ってました?)傍らでこっそり支援する仕事。一生窓口の仕事がやれればそれでいいやと思っていました。
けれども,僕も年齢を重ねて,役職をもらうようになると,段々と窓口から距離ができてしまいました。部屋の奥の会議室に朝から晩まで閉じ込められて,難しい話に何時間も費やすような仕事に変わりました。あるいは変わったのは仕事ではなくて,僕だったのかもしれません。変えたくても変わらない。何を目的としているのかすらわからない日々に少しずつ不満が募っていったのは,本当のところです。
希望に満ち溢れた退職ではなかったことは間違いありませんね。ただ,いいえ希望に満ち溢れています!前向きな退職です!と言い切らなくては自分にも,他の誰にも,説明がつかなかったのです。
でも,大丈夫。やりたいことは山ほどあります。なんとなく描いていた未来でなく,自分の手でありったけのドキドキとワクワクを集めて創る未来です。
そして僕は2年ぐらい時間をかけて,ひとつの違う未来を思い描きます。
20数年前に友達と描いていた夢のひとつ。そのとき,時間もチカラもお金もなくてできなかったこと。そのカケラを集めたのがコーチング学習塾ミライデザインラボなのです。
(気が向いたときに続く)