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ミライデザインラボ

室長ブログ

愛知県中高一貫教育導入の件

今、愛知県に在住している多くの小学生お父さんお母さんをざわざわさせている件。

確かにホットな案件ではありますが、いやいやちょっと加熱しすぎなのでは?というのが私の印象です。

なんでそう思うのかというと、みなさんの話をうかがっていると、中高一貫教育を導入するねらいや趣旨はそっちのけで、どうもお父さんお母さんの頭の中は、「入学試験」のことばかりでは?と思わせるような発言が多いからです。

学歴偏重のいけないところは結局これです。

教育の内容には正直、多くのひとが興味がないのです。
学歴だけゲットできたらあとはもうエスカレーターだと本気でみんな信じているのです。

さて、中高一貫教育を導入する学校は、県立高等学校にして、名門高校ばかり。
愛知県屈指の名門校なら、その先も順調に人生を歩んでいけるに違いありません。

愛知県では私立の名門校を第一選択に考えるご家庭はまだそんなに多くなく、学力が高い層においては、名門公立高校を目指すというのが現在の愛知県民たちの一般的な高校受験の在り方ですから、その屈指の名門校に入るためのルートとして中学受験としてワンチャンスもらえるのなら、是が非でも我が子を受験させたいと考えるひとが多いだろうことは、想像に難くないでしょう。

したがって、お父さんお母さんの興味は、その教育内容ではなく、いかにしてその学校へ在籍するルートを開くのか。要するに、入試方法、いいえ、もっと言えば「今のうちにどんな勉強をすればいいのか、あるいは今のうちにどの学習塾へ入れておけばいいのか」に尽きるのです。

しかし、お父さん、お母さん。
失礼を承知で言いますが、ここは一つ頭を冷やして、「中高一貫教育をなぜ愛知県が導入したいと思っているのか?」に目を向けてください。
ここをおろそかにするひとたちが「入試を突破して、かつ、6年間の学校生活を有意義に過ごすことができるという未来」はありません。

仮に入試を突破したとしても、その先に待っているのは、愛知県が目指すゲームチェンジャーになりうる人材とはほど遠い「画一的で、言われたことを言われたとおりにする、あるいは必要に応じて、権力が望む自分を自在に創り出すことができるコピーロボットみたいな子ども」になってしまうというような将来かもしれません。

教育現場において「学歴偏重者」を育成したいと考えていることはまずないでしょう。

結果として、社会が理想ある教育の場をそのような形にしてしまうだけのことです。

こういったことに真剣に取り組んでいる先生方は、純粋で熱い魂をもって将来の日本を牽引する自立した人材の育成を心から願っているのですから、ただ「この学校に入ること」が目的になるようなひとが集まってしまっては元も子もないわけです。


みなさんは、その中高一貫教育にどのような魅力を感じているのでしょうか。
学校が目指すものに共感し、自分の子どもをぜひ預けたいと考えられるでしょうか。あるいは、お子さんはそれを望むのでしょうか。

それがしっかりと考えられていないようなら、今からじっくり時間をかけて考えてみて下さい。そのうえで、お子さんが望ましい未来を手に入れるために「いまできること」を始めてみて欲しいと思います(これめちゃくちゃ大事です)。

とは言え、入学試験が気になるのはよくわかります。
とりわけ私が気になっているのは面接試験です。学力を測る筆記試験よりも、多様で多才な人材を見極める面接試験こそがこの入試の肝だと思っています。

文部科学省が言う「真の学力」を現実的に測るとすれば、「面接(or 口頭試問)」か「論述」のいずれかがピンときます。逆に言えば、各校が個別に制限なく作問することができれば話は別ですが、一般的な筆記試験でこれを達成するのはとてつもなく難しいとも言えます。であれば、面接試験にエネルギーを注ぐことはセオリーでしょう。

もちろん一定の学力が必要であることは間違いありません。筆記試験は相応にとれることが最低条件です(問題の形式はいろいろ想像できますが、実験的な試みをしてくるのではないでしょうか)。

今回の入試、「抽選はしない」ということなので、厳然たる入学試験でしっかりとアドミッションポリシーを満たす受験者を選抜するということでしょう。そのための労力は十二分に支払うという覚悟かもしれません。

200人規模の面接試験(面接試験なのか、口頭試問なのかは注意して見守る必要があるかもしれません)をどのくらい本気で考えているのかをみるには、ひとりあたりにかける時間がどのくらいなのかとイコールです。

前述した「いまできること」をすぐにでもスタートしてください。
面接試験において「体験したこと、体感したこと」は本当に最強です。体験や体感は、言葉に厚みが出るのです。

大学入試において面接試験でのやりとりを聞いていると、どれだけ立派なことを話そうとも、どれだけ勉強してきたことをスラスラと述べようとも、そこに体験や体感が伴っていなければその言葉の説得力はみじんも感じられません。薄っぺらく聞こえるのです。

その厚みがあるひとと、ないひとの差は歴然です。

なぜ、うちの学校に来たいの?

という、たったひとつの、しかもスタンダードな質問でさえ、そのことが如実に表れます。なにしろこの質問はどのような学校の面接試験でも、いいえ、会社の採用試験でも必ず聞かれることの代表格的な質問ですから、誰もが対策を練っているのです。

出てくる答えは概ね、どのひとも同じです。

面接官の先生方は、たくさんのひとからウンザリするほど同じような言葉を聞かされるのです。社風、校風、どのようなイメージ、OBOGのイメージ、社会での活躍…、大学なら○○先生の研究に興味が、○○の分野の活躍が…など。面接官が聞き飽きているそれらにはもうほとんど最初から意味がありません。それだけでは(逆に言えばちょっとウェブを調べればわかるようなことすら知らないようなら説得力は底なしに下がりますが)。

異なるのは、その答えの源泉。言葉を補強する背景です。

たとえば「私は○○が好きです」と言うのなら、本当にそれが大好きでなくては言葉は意味を持たなくなります。本当にそれが好きだとすれば、これまでの人生経験の中で大好きなことやものに対する「大好きさ」を表現できる何かしらの体験や体感が必ずありますから、それを語らせればひとは当たり前に活き活きと語ることができるでしょう。

しかし、体験を伴わない取り繕われた言葉には重みがありません。大好きだと言いながら、それを根拠づけるような体験がこれまでにないとすれば、信頼を失うのはたやすいでしょう。まして大好きだというひとつの言葉が意味を失えば、その他の言葉までも疑われ、説得力が薄れてしまいます。

みなさんが思うより体験や体感に基づく言葉というのは本当に違うものなのです。
たとえ発言がたどたどしく、上手なスピーチと言えなくとも、あるいはその論理が専門知識を持つ者からみれば稚拙なものであったとしても、わかりやすい優等生な発言でなく青臭い尖りきった持論だったとしても、必要な体験が伴い、そこから実際に感じたこと、考えたこと、疑問に思ったこと、そのうえでその疑問や想いを昇華させるようならさらなる体験を積み重ねてきたことを活き活きと話す者の言葉はものすごい説得力を持つのです。

それだけではありません。
実体験を伴っていても、本人がそれに価値を置いていなければ何もしていないのと同じです。
学級委員長をさせてみたり、クラブ活動のリーダーをやらせてみたりしても、そういう付け焼き刃なものでは意味がありません。

学級委員長でも、クラブリーダーでも、習い事でも、家の手伝いでも、なんでもかまいませんがその活動を通じて、自分は何を感じ、何を考えたのか。そこから何を学び、どのような工夫を凝らして自身の成長につなげたのか、そういった自律的な営みが含まれていない限り、何をしたとしてもほとんど意味をなさないでしょう。

11月から説明会への申し込みができるようです。抽選だそうですが、これを検討しているお父さんお母さんはぜひ手を挙げてみてください。
また、12月には「適性検査」のサンプルが公表されるそうなので、ワクワクして待ちたいですね。

算数の計算やたくさん漢字が書けたら合格するようなものではないと思います。
最初に求められるのは「読解力」です。

すでに先行して同じようなプログラムが動いている他県と同様な仕組みが採用される確率は高いと思います。一方で、これまでの事例と愛知県との差がどのようなものか、中身をしっかりと吟味し、これに適切な試験内容になるでしょうから、もしかしたら本気でこれまでのレールから外れるような唯一無二の作問をしてくるかもしれません。
しっかりと動向を観察していきましょう!

最後にもう一度。
これらの試験のために、今から学級委員長に立候補したり、クラブ活動の部長に立候補したり、あるいはボランティアに参加したりしても意味はありません。

なぜなら学級委員もボランティアも、試験に合格するために手を挙げるものではないからです。
そういう意図はすぐに読み取られます。前述したとおり、中身が伴わないからです。どんなふうに取り繕っても無駄です。間違いなく見破られます。

試験に合格するために何かをするのではなく、自分が探求したいこと、深く学びたいこと、興味を持つことをどんどんやってみてください。学級委員長になったり、ボランティアをすることよりも、ずっと有意義な過程と結果が得られるでしょう。

そしてそれこそが試験に合格するために役立つはずです。

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