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ミライデザインラボ

室長ブログ

子どもに勉強して欲しいなら,お父さんとお母さんは工夫改善をしたほうがいい。

勉強しなさい。

と言って,子どもたちが「はい,わかりました。」とすぐさま机に向かったことありますか?

PDCAサイクルという,工夫改善してポジティブスパイラルを起こす有名なフレームワークがあります。

多くのビジネスマン,いや多くの大人が知っているこのフレームワークもなぜか子どもに勉強させるときにだけは応用されることがありません。絶えず繰り返される「勉強しなさい」の失敗。

昨日もおとといも,勉強しなさいと言って,子どもが勉強を始めることはなかったのに,なぜ今日もまた「勉強しなさい。」と言ってしまうのか。

これまでうまくいかなかった手法が,突然今日から機能しはじめることはありませんから,少しずつ工夫改善をして,成果があがりやすい手法を確立しなくてはなりません。

まずは「勉強しなさい」と言っても「勉強しない。」という事実に目を向けましょう。そのうえでこの手法をブラッシュアップさせていくのか,はたまたいったん廃棄して,新しい手法にチャレンジするのか考えていきましょう。

さて,そもそもなぜ,勉強しなさいと言っているにもかかわらず,子どもたちは「はいわかりました」と言わないのでしょう。

勉強をしたくないからというのももちろんあるでしょうけれど,それよりもきっと命令されたくない,自由を阻害されたくない,という反射行動ではないかと思っています。

一方で,なぜお父さんお母さんは「勉強しろ」と言ってしまうのでしょうか。

「勉強しなさい」という指示命令は,子どもたちの自由意志を無視した行為でもあります。強制的な行動の指示,制限には「自分の意見や考え」を相手に押しつける意味で,「相手の意見や考え」を真っ向否定する裏メッセージが載ります。

つまり,子どもたちが「勉強そろそろしなくちゃなー」とか「ほんとは勉強やったほうがいいんだよなー」とかいった勉強に対するポジティブな気持ちを否定し,「あなたたちは,このままでは自分の意志で勉強をするつもりなんてないでしょう。ダメじゃないの。」という一方的な決めつけを投げかけていることになります。

あるいは遠回しに「宿題はもう終わったの?」と優しく言ったとしても,そのメッセージには宿題が終わったかどうかをたずねるための言葉ではなく,「まだ宿題やってないでしょ,はやくやりなさいよ。」という裏メッセージが載りますから,同様に本来,宿題や勉強をする主体である子どもたちの自由意志を無視して,お父さんやお母さんのタイミングで,お父さんやお母さんの望む分量,あるいは質,の学習を強制させていることに変わりはなく,結果として子どもたちの主体性を損ねることになります。

そしてもうひとつ,大事なことがあります。
強制的に勉強をさせる行為は,つまり「ほっといてもやらないと思っていること」を伝えることにもなりますから,「あなたがたの向上心や成長したいという真摯な気持ちを信用してませんよ」というメッセージにもなることです。

いいえ,そんなこと思っていません。
と思いますよね。

そうです。
そんなこと思ってるはずはないのですが,しかし本当に子どもたちが自分自身のチカラで強い意志をもっていつか学習を始めてくれると信じているのなら,「勉強しなさい」なんて安易な手法をとるべきではないのです。

いつか自分のチカラで学びを始めると信じているのなら,静かに見守るのがよいでしょう。彼らが支援を求めるのなら,必要に応じて支援をするもよし,主体性をもって起こしたわずかな行動を見逃すことなく,今日はがんばったねーと勇気づけをしてあげたいところです。

しかしお父さんお母さんは思います。

ほっといてやるはずないじゃん!!

結局最後までやらなかったらどうするの。
取り返しつかなくなってからじゃ遅いでしょ。
うちの子,宿題忘れていってもヘッチャラなんですけど。

勉強しなさいって言わなかったら果たして本当に勉強しないのでしょうか。

子どもたちの主体性をどこまで信じてあげられることができるでしょうか。

「勉強しなさい」を封印してみるのはひとつの工夫改善ではあります。これまでうまくいかなかった手法を繰り返すのは愚の骨頂です。我々大人とても,日々アップデートが必要なのです。

かつて発明王エジソンは,電球を発明するために10000回の失敗をしたことを友人に問われたとき,「失敗したんじゃなくて,10000回うまくいかない方法を発見したのだ!」と屁理屈をこねたそうですが,失敗を繰り返すというパラダイムでは10000回の挑戦は続きません。今回もまた,うまくいかなかった新しい方法を考え出したのだ!というパラダイムを持つことで,成功を10000回繰り返し,そのうえでついに「目標達成!」という新しい成功を手にすることができたわけです。

したがって,我々大人もこれに習い,「勉強しなさいと言う」だけの手法について,うまくいかなかった手法をひとつ発見したのですから,次はもっと別のうまくいかない手法かあるいはうまくいく手法を発見するために,新しい方法にチャレンジしていかなくてはなりません。

というわけで長い前置きになりましたが,「勉強しなさいと言う」に続く新しい手法について,これからちょっと考えていきたいと思います。

《つづく》

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