MENU

ミライデザインラボ

室長ブログ

教育と哲学。

子どもの無茶な話を聞いていると,なかなか面白いなーと思うことがあります。

さっきも5歳になる娘がママとケンカをしていたのだけれど,彼女の主張は総じて「ママが悪い」ことをどうにか認めてもらいたくって怒ってるというものでした。

横にいて聞くともなしに,聞いていて思ったことはこんなことです。

——

「ママが悪い。」というとき,

相対的に,自分は悪くない(すなわち正しい)と主張しているのだろう。

ママが悪くないと,自分が悪くなってしまって,これは都合がよくない。

だからママが悪いと結論付けたい。

ただこの論理は

・一方が正しい場合,他方はまちがいであること,またはその逆
・いずれか一方に「正しい」が在ること

を前提として含んでいて,いずれも正しいとか,いずれも誤っているとか,あなたにとっては正しいとか,その価値基準に照らせば誤っているとか,そういう機微は含まれていない(あたりまえかw)

——

それで僕は,こういう複雑系を娘に伝えるにはまだちょっと早いかなと感じたのだけれど,そこではたと気が付きました。

——

けれどもまぁみんなも自分の胸に手をあててよく考えてみよう。

僕もそういうことはよくある。
正義と悪の二元論でとかくひとは物事を判断しがちだ。
元よりあるかないかもわからない判断基準を基にして,他方の悪い点を斬る行為は,5歳の娘の未熟な論理展開となんらかわらないのではなかろうか。

それまちがってませんか?

と口にするとき,実は同時に「僕の主張が正しいですよ」と暗に伝えている。あるいは「あなたが間違っている」をみなに認めてもらうことで,相対的に自身(やその仲間を)の価値を底上げしているに過ぎないのではないだろうか。

重要なのは,1と0の間なのだと

昔,誰かが歌っていたが,本当にそのとおりだなと思う。白と黒の間のグラデーションがかったその色を無段階に選択できることに自由と多様性の極意があるのかもしれない。

——

というようなことをボンヤリ考えながら,娘が妻に叱られているのを聞いていたのだけれど,娘が僕のところへ助けを求めてやってきたものだから,つい「まぁまぁもう許してやってよ」的なことを言ってしまって,

妻の怒りの炎がこちらに向いてしまって大惨事になりかけました。

教育と哲学はとかく矛盾をはらむものだなと切に思いました。

< ブログ一覧ページに戻る

上矢印