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ミライデザインラボ

室長ブログ

誰かの気持ちを代弁するとき,それがそのひとの本当の気持ちであることをどうやって確認するのだろうか。

大学に勤めていたとき
お父さんとお母さんに連れられて進路相談に来る学生や成績不振などで相談に来る学生と面談する機会がたくさんありました。

そういうとき,僕は学生本人に自分の気持ちを話して欲しくて,「本人」に向かって一生懸命問いかけます。

でもこういうとき,たいていの場合,お父さんかお母さんが答えてしまうのです。
「体調はどう?」とか「今の気持ちを教えてくれないかな」と問いかけても,本人の口がなかなか動かないと,沈黙の時間に耐えられないのか,話をするのが苦手な我が子を助けたい一心で,「体調はいいみたいです。」とか「今日はがんばってきたんだよね,〇〇くん」とか,お父さんやお母さんがフォローに入ってくれるのです。

本人の進路希望や考えていること,好きなこと嫌いなこと,授業について,大学に来たくなくなった理由や気持ちを代弁してくれるお父さんやお母さんもいました。

子どもたちを愛しているがゆえに,自分のことのように必死なのです。
必死過ぎて自分のことではないことを忘れてしまうのです。

しかしその代弁は,本当に彼らの心を反映したものなのでしょうか。

僕らの問いかけは,本人が何か言葉を出そうとしている気配がある限り「何分でも,何十分でも」返事を待つ覚悟をもった本気の問いかけです。

他の誰かが代弁することは本人が話せないことを暗示しますから,もしも本人の意図しない代弁だとすれば,その自尊心を傷つけてしまうかもしれません。

無言なのは,言葉を選んでいるかもしれないし,言いたくても言葉にできない気持ちもあります。言葉にしてはいけないのでは,と感じている言葉もあります。語彙が少なくて適当な日本語が見つからないかもしれません。話す相手を信頼して良いのかと警戒していることもあります。聴くというのは本当に難しいですね。

お子さんが何かを言おうとしているとき,先んじて代弁せず,ただひたすらに信じて待つことも「聴く」ことの一部なのです。

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