こんにちは。ミライデザインラボてしまです。
元気にお仕事されてますか。
最近,学校の先生方とお話をする機会が増えて,ある教科の指導方法とか,あるいは教育全般についての意見交換をさせてもらっています。
中でも少し興味深いなぁと感じたのは,先生も学校教育と自身のポリシーの間でひどく揺れているというか,少しでも子どもたちのために尽力したいと思っている反面,それを簡単には許さない制度の中でのジレンマと戦っておられるのだなぁということです。
しかし我々の目に届くのはいつもポジティブ,ネガティブかの差はあれど,極端な例ばかりです。その両極端をメディアを通じて見せられて,あたかも教員のすべてを理解したかのように論ずるのは弊害のほうが多いんじゃないのかなーと思っています。
twitterにタイムラインに流れる先生方の不満。
塾長や塾講師による保護者への不満や生徒への不満。
そういうものがたくさん目にとまって,反対にそこには現れない多数の保護者や生徒たちへの思いやりとか,助け合いの気持ちとか,相互のリスペクトがそれらに埋もれてしまったりしています。
しかし現場に目をやれば,サイレントマジョリティたる相互に理解をしようという他者への寛容さがちゃんとあります。実際に直接話をしてみればわかることなのですが,これがどうやらインターネットを通すと利己的なものにだけ焦点があたって,その寛容さは伝わらない悲しさがあります。
利己的というと,どうもわがままで自分だけよければいい!みたいなイメージがありますが,利己的であることは利他的であることと必ずしも矛盾せず,包括的に両者をセットにすることはできると思っています。
先日受けたある塾講師さんからのご相談にこんなのがありました。
塾生で十分な学力があって,たいして説明しなくても理解ができてしまう優秀な男の子がいるのですが,こちらからの問いかけに対して他の子たちに先んじて全部答えてしまうのです。
バランスを考えて他の子たちにも譲ってもらえないかお願いしたのですが,わからないひとが悪いといってこちらの意図を汲んでくれないのです。
『7つの習慣』やアドラー心理学の視点ではどんな工夫ができますか?という趣旨でのご相談でしたので,よろこんでご相談にのらせていただいた次第です。
こういった場合,僕がいつも頭に浮かぶのはいかに Win-Win のパラダイムを理解してもらうか,ということです。社会に生きる限り,僕らは常に他人を意識しなくてはいけません。ひとりで生きていくことは不可能です。したがって,いちばんはじめは Win-Win にはならないだろうか?というパラダイムでものごとを見ることです。
このケースに照らすなら,自分だけ他のひとより先に理解ができて,他の子どもはまだ理解ができていない状況で,自分も満足して,さらに他の子どもたちも満足するという状況をどう成立させるかです。自分が満足を得るために必要な「自分の意見をしっかりと伝える勇気」と相手の気持ちに配慮する「思いやり」を高いレベルでバランスをとらなくてはいけません。
このとき「自分はわかっていて発言したい。他の子どもたちの理解を待つことはわずらわしい。」を否定的に捉える必要はありません。自分が満足することをふまえたうえで,思いやりをもって,どうしたら他の生徒たちも満足できるような状況をつくれるだろうか?と考えれば良いのです。
彼を利己的と捉えるのであれば利己的なのでしょう。
しかし一方で,この利己的な考えは個でみればあたりまえのことでもあります。まずは自分が楽しいこと,自分が満足することを優先させるのは自然とも言えます。
Win-Win のパラダイムを持てば,自分が楽しく満足なだけでなく,さらに相手の満足をも考えてることができるようになります。反対に利他的で思いやりがあってもそれだけでは,自分が遠慮し,周りを優先するだけになってしまい,それでは自身は満足できませんから,結果Lose-Winとなってしまいますし,自分が満足することは「相手の不満足」が条件となっているのならこれはトレードオフの関係であり,Win-Loseとなります。
しかし,物事のほとんどはもっと柔軟で多様ですから,そんなに簡単にゼロサムゲームにはならないのです。どっちの意見も織り込んだもっとすばらしい第3案が生まれることも十分ありえます。まずはそれを考えてみよう!というのが「Win-Winを考える」の精神です。
僕はそんな話をその塾講師さんに話してあげて,まずは男の子がなにを求めているのかしっかりと見定めて,もしも求めていることをみんなが許容できるなら一度受け入れてみたらどうかということをお話しました。
塾講師さんは熟考のうえ,試しにその男の子が発言する際に,もう少しわかっていることをみんなに話してくれないかなと,授業で好きなだけ話をさせてみたところ,他の子どもたちに問題の解き方や自分がどうやってその解法にたどり着いたのかなどを,とても上手に活き活きと説明してくれたのだそうです。そのうちわからない子どもたちから質問が出るなどちょっとしたアクティブラーニングのような授業になったのだそうです。
さらに,その男の子にとっても良いことに,わからない子どもたちの質問に答えているうちに,自分の理解が浅かったところにも気が付くことがあって,まさにWin-Winになったということです。
それ以来,時々授業の中にそういう時間を設けることで,男子生徒もより積極的に授業に参加し,また他の子どもたちも発言する回数が増え,みんな互いに他の生徒の発言に耳を傾けるなど,バランスのとれた授業ができているということです。
個人の幸せは利他的であることに繋がります。
誰かのためにだけなって,自分の気持ちをないがしろにしても,案外いいことはありません。まずは自分のことを大切にしてあげることが,他の人たちへの貢献したいという気持ちをしっかりと支えるのかもしれません。
そのためにもしっかりとお子さんの気持ちを受け止めてあげることからスタートですね。