ミライデザインラボを創ろうと思ったキッカケは,実はいくつもあります。
そのうちのひとつが子育ての難しさを痛感したことです。
大学に勤めていた24年間で,いろいろな学生さんとお話をすることができました。
学生さんたちはみんな一様に優秀です。
けれども,勉強はさておき,中には一生懸命勉強してようやく入学した大学なのに1か月も立たず退学を考えるようになってしまったり,友達をつくることができずに,ひとりで講義を受けることが嫌で学校に来ることができなくなってしまったりする学生さんもいて,そんな彼らのお父さんやお母さんが心配して大学を訪れ,学生生活の相談にのるというか,お話をする機会が度々あります。
とりわけ難関大学と言われる大学に子どもを入学させたいと思っているお父さんやお母さんは,教育に熱心で,子どもたちのことを一生懸命に考えるひとが多く,大学の履修のことや,講義の内容のこと,成績評価への不満や就職活動の具体なアドバイスなどを僕たちに問いかけるのです。
それはまさしく子育ての難しさから来ているのだろうと直感しました。
子どもは自分のコピーではなく,持ち物でもなく,尊重すべきひとりの人間であることは誰しもが理解するところでしょうが,いざ自分の子どものこととなると,本当に他人事ではなく,自分のことのようにという比喩が比喩でなくなるほどに自身の想いを重ねてしまうのが親心です。
子どもたちのことが心配で仕方ないのです。心配だから,勉強しなさい!って言いますし,自分の経験に照らしてリスクの高いことは,あらかじめ子どもたちから遠ざけたいと思うのです。
しかし一方で,お父さんやお母さんは,そういった自分の行動を必ずしも正しいと思えず,時に迷うことは山ほどあります。盲目に子どもに勉強をさせたいと思っているか,というとそうではないのです。
叱ったあとで後悔することは日常茶飯事。
勉強しなさい!なんて言いたいと思っているご両親はおそらくいないでしょう。大学生にどんな声をかけてやればいいのだろうか。いや,高校生のうちはこれぐらいはやってやらないと…中学生のうちは…。教育熱心と過保護の狭間を行ったり来たりしつつ,何度も自問自答するのです。これでこの子のためになっているのだろうか?と。
そういう親としてあたりまえのジレンマを僕は第三者の力でなんとかできないだろうかと考えました。それで,サードプレイスといアイディアが出てきました。サードプレイスという言葉は,かのスターバックスが考案したのだそうですが,家でもない,学校でもない,もうひとつの場所。
隠れ家のように使えて,居心地よく,いつまでも居られる場所。
さらに,サードプレイスならぬ第三のオトナ(=コーチやチューターのお兄さんお姉さん)が常駐し,オトナ目線だけど子ども扱いすることなく,友達ほど子どもでもなく,まして親でもなく,学校の先生でもない,新しいオトナとのコミュニケーションは,中高の多感な時期に必ずよい影響を与えるだろうと思うのです。
なにしろミライデザインラボは,子どもたちの言葉をひとつも漏らすことなく本気で聴きます。そのためにひとりに対する時間を目いっぱいとれるような仕組みにしたのですから。
そのかわり料金はいっぱんの学習塾よりも高めです。
対応できる人数が少ないからやむなくです。
子ども一人に対して関わることができる時間が制限されるのは,絶対に嫌だからです。
「学び放題」は,子どもたちが居たいと思えば,居たいと思うだけ居ていい。
勉強しなくてもフラっと立ち寄って,今日学校であったモヤモヤを話すだけ話して帰ってもいい。
そのためには僕たちスタッフが責任をもって,「授業料の対価」だからという大義名分を掲げて,それを時間無制限で受け止めてあげられるシステムが必要なのです。
だから,時間を気にしなくていい。
いつまでだって僕らを頼って欲しい。
愛は無限です。
そういう想いが込められています。
ツライ想いをして胸にモヤモヤを抱えている子どもたちに時間制限はあってはいけないのです。
それが僕の信念なので,そこは曲げないことにします。
要するに,ミライデザインラボはそういう場所なのです。