第2話 うまくいかない対話
相談を受けた翌週、里奈は久しぶりに“講師としての自信”を胸に、美咲を迎えた。
前回、美咲は涙を浮かべながら言った。
「うちの子、動けないんです」と。
あの言葉が頭に残っていた。
だからこそ、今日こそは何か役に立てるアドバイスを──
そんな思いが、里奈の胸の奥でじわじわ膨らんでいた。
「佐伯さん、今日はこの前の続きなんですけど……
真尋くん、最近の様子はどうですか?」
「ええ……あれから、あまり変わらなくて。
机には行くんですけど……座ったまま固まってる時間が長いんです」
美咲は不安を隠すように笑った。
その笑顔が、逆に里奈の胸をざわつかせた。
(変わってない……
私、もっと“何か言わなきゃ”じゃない?
何か、お母さんを安心させる言葉……
ちゃんと“指導”しなきゃ……)
焦りが、静かに喉の奥を締めつけた。
「……じゃあ、こういう方法はどうでしょう?」
里奈は早口になった。
「まず、“やることを細かく分けて”見える化して……
そこから、『どこから始める?』って聞いてみるんです。
やりやすい一歩を作ってあげる感じで──」
言いながら、胸の奥にほんの小さな違和感が灯る。
それは「何かが違う」と知らせる弱いサインだった。
しかし、美咲は俯いたまま、弱々しく笑った。
「それ……前にも試したことがあって。
『今考えてる』って言われて……
結局、怒らせてしまっただけでした」
「あ……そう、なんですね……」
一瞬で、里奈の胸の奥が冷めていく。
用意していた“アドバイス”が役に立たなかった事実がじわじわと広がった。
(……やっぱり、そんな簡単な話じゃないよね。
でも、どうすれば……?
“技術”で安心させるのは、違う?
だとしたら私は……何を渡せばいい?)
気づけば、美咲の声が揺れていた。
「私、もう……何を言っても嫌われてしまう気がして。
声をかけるのも怖くて……
でも、放っておいたらあの子が困る気がして……
どうしたらいいんでしょう」
そう言って、美咲は目尻を指で押さえた。
涙を見た瞬間、
里奈の胸に、後悔の熱が一気に満ちていく。
(ああ……私、やってしまった。
この人は“技術”が知りたいんじゃない。
“自分の不安を理解してほしい”だけだったんだ)
言葉が出てこない。
里奈は一度、深く息を吸った。
「……佐伯さん。
ごめんなさい。さっき私は、急いで“答え”を渡そうとしてしまいました」
美咲が驚いたように顔を上げる。
「佐伯さんは、真尋くんを“動かす方法”じゃなくて……
“お母さん自身の気持ちを、一緒に見てくれる人”を探してたんですよね」
静かな沈黙。
そのあと、美咲はゆっくりとうなずいた。
「……はい。
たぶん、そうなんだと思います」
里奈は、胸の奥がしんと痛んだ。
その痛みは、敗北ではなく、学びの痛みだった。
(技術じゃなくて、関係……
“状態”を見るって、こういうこと……?
でも、私はまだよく分かっていない……)
その混乱の中で、里奈は自分に小さく言い聞かせる。
(わからなくていい。今は、“一緒に考える人”であればいいんだ)
「佐伯さん。
真尋くんの“やる気”の前に……
お母さんの“不安”のほうを、先に一緒に見ていきませんか」
その提案に、美咲は両手を胸の前で強く握りしめた。
「……お願いします。
私……ずっと怖かったんです」
その言葉は、里奈の胸にまっすぐ届いた。
——初めて知った。
“コーチング”は、技術ではなく、関係を支えることなのだと。