夏休みをどう過ごすのか。
という難しい案件は、古くから子どもたちの中で、とりわけ「宿題をいつまでに終わらせるか?」についてたくさんの議論が交わされてきました。
7月中に宿題を終わらせてしまえば、あとは好きなだけ遊べる!と頭ではわかっていても、ついつい先送りにしてしまい、結局いつも通り8月31日に7月分からたまりにたまった漢字練習帳をものすごい勢いで片付けたり、読書もしていないのに読書感想文をかくはめになったりするわけです。
YouTubeで素敵な動画を見つけたのでご覧ください。
この意味がわかりますか?
大事なことは、「最優先するべきことを、最優先に行う」ということです。
最優先するべきこと、あるいは最優先にやりたいこと、を最優先するだなんて当たり前のように思うかもしれません。しかし、一度自分の胸に手を当てて考えてみてください。
本当に大切にしなくてはならないことを、大切にできているでしょうか。
最も大事なこと、人生の目的に照らして最も優先すべきことを我々は最優先にできているでしょうか。
そうですよね。
私たちは「いちばん大切なこと」「いちばんやっておかなくてはいけないこと」を常に優先させられるかというとそんなことはありません。むしろ、そうでもないことや、緊急性の高いことに気を取られてしまって、大事なことは後回しになってしまいがちなのです。
いちばん大切なことなのに、です!!
最初に大きなゴルフボールを瓶に詰めても、砂利や砂、水はしっかり瓶に入るのです。
反対に砂利や砂から瓶に詰めてしまえば、もうゴルフボール(大事なこと)を必要なだけ瓶に詰めることは難しいでしょう。
じゃぁみなさんにとって大事なことってなんでしょうか。
人生という時間を考える時、たとえばなんとなく惰性でインターネット動画をみていたり、そんなに見たくもないテレビをボーッと眺めていたり、本当はあまり興味がないけれど友だちとの話題についていけなくなるのが嫌でドラマやアニメをみたりしていませんか。
他愛もないやりとり、明日学校で話せばいいようなことをチャットツールを使って夜遅くまで友だちとやり取りをしているようなことはありませんか。
それらがもしもみなさんの人生においてとても重要なことなのであれば、必要な時間をしっかりつくって一生懸命にやったらいいのです。しかし、大事なことを見誤って一時の気持ちだけで優先順位をまちがえてしまえばもうゴルフボールは入りません。
夏休みの宿題が大事だから最初にやっとけよー、という単純な話でも実はありません。
もしも夏休みの宿題があなたにとって本当に無意味で、砂や砂利のような些末(さまつ)なことだと感じるのであれば、その時間を何か別のもっと大切なことに使えばいいのです。
しかしそれが上に書いたような「その場だけの超短期的な快楽」に費やされるとすればどうでしょうか。
友だちと仲良くすることだって大事だよね、なんて言うかもしれません。
友だちとの時間をつくることがあなたにとって大事ならしっかりと時間をとって、しっかりと、全力で友情を育めばよいのです。しかしたとえばそれがあなたにとって「あなたらしさ」を失うようなことにはなっていないでしょうか。
行きたくもないところへ友だちに誘われたという理由だけで行くこと、今日は勉強しようと決めていたのだけれど友だちからチャットが来たからつい3時間もやりとしちゃったなんてこと、朝から調子が悪くて今日は家でじっとしていたいなと思っていたのに、友だちに呼び出されたから仕方なく出かけるなんてことないですか?
対して見たくもない動画をダラダラと何時間も見たり、そういう大した意味のないことに、将来の夢ややりたいことのための時間を削ってしまったりすることはないですか?
夏休みをどう過ごすのか、という課題は、我々に「優先すべき事を優先する」ことの大切さをあらためて提示してくれています。本当はそんな深い話でもないのですが、宿題いつやる問題に対して、そういったところまで考えを深めてみると新たな気付きがあるかもしれませんね。
本当に大切なことを最優先すること。
実は緊急性は高いけれど対して重要でないこと(8月31日に一気にまとめてやる漢字練習にいったいどれほどの価値があるでしょうか)は、緊急性はないけれど、重要なこと(たとえば1年後に控える受験のために少しずつ学習を進めておくことなど)を優先的にやっておくことで減らすことができます。
緊急性が高いことは、緊急性の高さゆえに、最優先してやらないわけにはいきません。
しかし、緊急性が高いからといって人生にとって有益かどうかはわからないのです。そういう緊急性が高い状態になるまえに、常日頃から少しずつ計画的にすすめておくことで「緊急性が高いこと」を減らすことができるのです。
そう。
だから、ゴルフボールから先に入れておくんだよ!
と、教授は言っているのです。
大丈夫、どんなに瓶が詰まっているように見えたとしても、友だちと友情を育む時間(ビールを注ぐ隙間)は、必ず残っていますから。