学習塾に通っても成績があがらないことをどう考えるのか。
学習塾に通っているのだから学習時間は,通っていない子どもよりも多いかというと,そうとは限りません。学習時間をいかに確保するかは,学力に直結する重要なファクターですから,学習時間が稼げない限り学習塾に通っていても成績は上がらないと考えていいと思います。
学習時間というのはあたりまえですが,学習している時間です。学習塾へ行っていても,はたまた学校に通っていても,どのように授業を受けているのかを振り返ってみて,果たしてその時間が「学習時間」なのか,あるいはそうではない別の時間なのか考えてみれば,自ずと学習時間が増えているなとか,最近はあんまりできていないなとかわかると思います。
学習塾に通っていなくても成績が良いお子さんは,授業の受け方と家庭学習がしっかりとできているんですね。逆に成績が良くないお子さんは,授業を受けることができていないのだと思われます。同じように授業の時間を過ごしていても,授業の時間をどれぐらい有効活用しているか考えると学力の差は,ものすごくわかりやすくなります。
たとえば,1コマ1時間,1日5コマだったとして,単純に1日あたり5時間。
5時間×平日5日間=25時間。
1週間で25時間×4週間=100時間。
100時間の授業時間を100%活用できている子と,50%しか活用できていない子では,1ヶ月でなんと50時間の学習時間に差ができます。
1年間なら600時間もの差です。
これに家庭学習の時間が1日あたり2時間やる子と,ゼロの子では,たとえば家庭学習をしっかりやっている子が1年のうち300日ぐらい2時間ずつやるとすれと,これまた600時間差がつきます。
合計でなんと1200時間の差です。1年で。
このとんでもない時間差を無視して,成績がいいのは「頭が良いから」,成績が悪いのは「頭が悪いから」,のひとことで説明している限り,その差が埋まらないのはあたりまえなのですね。
その差分を少しでも埋めてくれるのが学習塾のはずですが,しかし結局のところ塾に行こうが,行くまいが,学習時間としてカウントできるような時間を過ごせているかどうかが重要であることは言うまでもありません。
そしてもうひとつ重要なのは,わからないことをどのようにして克服するか。
つまり学習方法です。
しかしいったい学習塾は,わからないところをわかるようにしてくれるところなのでしょうか。
コーチング型学習塾やってる身としては,わからないことに出くわしたときにいかにしてその問題を回避するのか,乗り越えるのかが大切なポイントなので,単純に「わからないところを教えてくれないなら塾の意味ないじゃん」とはあんまり思って欲しくないところではあるのですが,まぁまだコーチング型の人材育成は世に浸透していないので,そういう解釈が大半だろうことは仕方ないなという覚悟はしています。
しかし,ひとつ疑問なのは,「わからないところを教えてくれないなら意味ない」ということは,「わからないところを教えてくれるのが学習塾だ」ということで,これはすなわち「学習塾のアイデンティティ」というか,その存在意義は「わからないところを教えてくれる(補完してくれる)」ことにあるということなんでしょうか。
わからないところを教えてもらう先が学習塾なのだとすれば,学校ってなんなんだろうという疑問が再浮上します。あるいは学校と塾がワンセットでようやく「わからないがわかる」「できないができる」になるのでしょうか。
これには初等教育および中等教育前半と,中等教育後半のふたつにわけて考える必要があると思っています。学校教育法においては,中等教育の後半(一般に高校のこと)は,普通教育の中でも基礎を終えたひとが専門的なことを学ぶという位置づけですから,小中学校のそれとはちょっと別に考えたほうがいいだろうと思うからです。
ラボはコーチング学習塾と謳っている手前,少し説明がしづらいところはありますが,実のところ小中学生までは基本のキを教えている段階ですから,基本的にティーチングが必要です。そして学校ではこれをやっています。
基本のキを教える段階においては,ひとによっては相当に時間をかけないと「わからない」を「わかる」にすることはできても,「できない」を「できる」にすることができません。学校の授業ではその構造上すべての生徒を対象にしてそこまで時間を割くことができないのです。
基本動作は最初にやってみせ,言って聞かせて,させてみた,ほうがいいし,まぁなにより「コーチング」ではクライエントの中にそもそもないものを引き出すことはできないからですね。
コーチング型学習塾が成立するのは,学校で一度学んできていること+自分で「できない」を「できる」にするための準備ができていることが前提なのですね。これに照らせば,ラボではその準備ができているならジリツ学習ができると考えているということになります。
したがって初等教育と中等教育前期に関して言えば,ジリツ学習ができる状態でない子どもたちについては必要に応じてジリツ学習ができるところまでティーチングはマストとも言えますし,これを学習塾が担うことはある程度可能であると言えます。
先の質問に答えるなら「学校と塾」がワンセットで「できないをできる」にするはあながち間違いとも言えません。
は,わからないをわかるに変えるのは学校だと考えています。学習塾が
一方で,高校生になれば,基本はすでに修得している,とりわけ自分なりの学習法や取り組む姿勢はほとんど自分のものになっていると考えているので,これはむしろわからないところを手取り足取り教わるよりも,考えて考えて,参考書や動画を片手にわかるところまで切り込んで欲しいというのが僕の願いであり,高校生の学習にはほとんど関与しない理由でもあります。
ぶっちゃけてしまうと,僕はコーチングやアドラーに長く染まってきてて,1on1コーチングでの技芸としてはそれなりに場数を踏んできてはいますが,勉強を教えるプロフェッショナルとして十分な経験を積んできたとは言えません。
したがって勉強を教える(とりわけ定期テストの点数アップ!みたいな)ということについてに焦点を合わせるとするならそれはもう他塾さんへ行ってもらったほうが良いだろうと思っています。
そもそも「教えてもらう」前提なら,わざわざ塾なんか行かなくても,教えるプロフェッショナルは身近にいます。しかもどれだけ教えてもらったってお金はかからないし,きっと熱心に教えてくれるひと。
高校生ならばすでにそのプロフェッショナルから少なくとも一度はその単元についても教えてもらっているはずなので,その点で「学習塾へ行ってもっとしっかり教わる」必要性はあまりないのです。
もっと言えば,わからなければまずはそのプロフェッショナルたる先生方にどんどん質問して追加授業を受ければいいのです。先生方だってきっと生徒たちの熱意には熱意でもって応えてくれるでしょう。
さらに言えば,大学入試の内容(答案作成のテクニックや過去問題から得られる傾向と対策のようなもの)を教えてもらいたいなら予備校の先生が最適でしょう。
誤解を恐れず言うなら,家庭教師や個別指導塾の先生ってほとんどアルバイトの学生ですから,一般に学校の先生方やプロフェッショナルとしての塾講師や予備校講師よりも教えることに長けているとは考えづらいのです。
ですから学習塾に行けば,わからないところが解消して,一気に偏差値アップ!みたいな妄想はもう持たない方がよいのではないかと思っています。
もちろん個別具体な話となれば「ひとによる」のは当たり前なのですが,そういう例(スーパー塾講師とかスーパー家庭教師)にはあんまりあたったことがないので…。
ちなみに学校以外のプラスアルファの学習時間をどこで確保するのか?という点で学習塾は有効です。
今や,学習塾の存在意義はその一点に集約されるのではないかと疑うほどです。
プラス僕はコーチングでしっかりマネジメントするという点で学習塾の存在意義を見出そうとしているのであります。
理解してもらうのは簡単ではありませんが,これはもう浸透するまで伝え続けるしかないですね。
実績を積むと言っても,ひととひとのコミュニケーションがもたらす効果は目に見えない部分が多く,あえて言うなら「何ものにも変えられない信頼関係」を売りにしているようなものですから,他者から見たら何にお金を払っているのかわからないってことはあるかもしれません。
コーチングやコンサルティングを商品として捉えることができるのは,熟成した社会に身を置いて,精神的なよりどころに価値を見出しているひとだけなのかもしれないですね。
これからの学習塾,とりわけ高校生向けの学習塾は「成績を上げる」ということを目的とせず,本人が「成績をあげたい」という目標に対していかにして真摯に取り組んでいけるのかをいっしょに考えるサポーターで在り続けることを目的にするように変わっていくのではないでしょうか。
成績があがるかどうかは,塾が責任を負うのではなく,本人が責任を負うべきものです。その覚悟がある者だけが,成績をあげることができるのですから。
学習塾の責任は,サポーターとして,本人の背負うべき責任をいっしょに背負ってあげることです。本人が望む結果にコミットしていくことでもあります。
しかし,本人に学力を上げようという意志が見られないとき,彼らがそれを望んでいないとき,僕らはどうコミットしていけば良いのだろうかと日々考えずにはいられません。