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ミライデザインラボ

室長ブログ

小学生 に「分数っていつ使うの?」と聞かれたオトナが「 子育て 」って難しいな…と思った話。

本稿は note /2022.5.19 に最新版を再投稿しています。
よろしければこちらをお読み下さい。

https://note.com/coach7/n/n57b8360ce74c

先日,子どもたちと小学生の算数をやっていたら
「分数っていつ使うの?」という素朴な疑問を受けました。

小学生あるあるですが,案外コタエはありません。
実のところ分数の掛け算は実益があるのですが,分数の足し算って大人になると実益見つけられないのです。
分数同士ってあんまり厳密に足さなくないですか?まして通分してまで……。

たとえば「全体の30%のうちの25%」なんて計算は実社会でも,事務仕事としても必要です。また,確率統計は社会全体を見渡すためにも,厳密な確率統計学を学ばないとしても”感覚的”に必要ですから分数できたらいいですよね。ただ,この時でも分数同士を足したり引いたりするのに通分するぐらいなら少数やパーセンテージで計算するか,あるいは感覚的な(アバウトな)理解でことは足ります。

1/3のピザと2/5のピザを合わせるといくつになるのか。とか現実で考えるケースないもんなぁ……。
いやそれどころか数学的な1/3と実物ピザの1/3って違うし。

しかしながら,大人の考える実益を説明したところで,「分数いつ使うの?」という純朴な質問の本質に触れた感じはまったくありません。算数で言えば四則演算の必要性なら実質的な用途が見えやすく,わかりやすい説明もできるのでしょうが,質問の意義はたぶんそういうことじゃあないのだろうなぁと思うのです。

かと言って彼らに対して「コタエは君の中にある。君はそのコタエを探し続ける必要があるんだよ。」とか「たとえば数学は世界の真理の一部だ。真理を探究し解き明かし,社会全体の発展,ひいては,ヒトという種の発展に寄与することが我々の使命だとすれば,現存する知見を学び,それを礎として新たな概念を創出するために考え続けなくてはいけないのだよ。」と言ったとしても,それはすなわちなんにも説明していないのとほぼ同義です。

ところが問題の本質は実はこういうところにはなく,
「分数っていつ使うの?」という質問が,真に何を問おうとしているのか?を突き止めることが本質を得るために重要な問いなのであります。
この考え方がメタ認知につながるわけで,コーチングやカウンセリングの屋台骨でもあります。

たいていの場合,この手の質問は,
「分数の計算」は将来立派な大人になるためにどう役に立つのか。立たないのであれば,なぜ小学生の今,これを習い,身に付けなくてはならないのか。という意味に脳内変換されてしまいますが

実際には「分数をマスターする必要性はなにか。」という哲学的な問いではなく,今この瞬間,目の前にある難問から逃れる理由を探していることの方が多いのではないでしょうか。

たとえば,純粋に役に立つかどうかを計っているのだとすれば,この場合
使うタイミングがない → 役に立たない → 勉強しなくてもよい
というわかりやすい論理展開を期待していることになります。

けれども,将来役立たないから勉強しなくてもよい,ということになるのかどうかも本当のところよくわかりませんね。私にとっては役に立たないものが,みなにとって役に立たないかどうかもわかりません。一見すると役に立たないように見えるものが,真に役に立っていないかどうかを決定づける要因はこれと限定することはとっても難しいのです。

教育基本法第2条第1号では,教育の目的として「幅広い知識と教養を身に付け,真理を求める態度を養」うことを規定し,学校教育法第30条第2項は,小学校教育の実施に当たって,「生涯にわたり学習する基盤が培われるよう,基礎的な知識及び技能を習得させるとともに,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力をはぐくみ,主体的に学習に取り組む態度を養うことに,特に意を用いなければならない」と規定している。

学習指導要領解説‐総則編

平成29年度告示の学習指導要領を解説したものを参照してみました。
教育基本法では幅広い知識と教養及び真理を求める態度(とここには書いてませんが情操教育と心身の健康)で,学教法では基礎的な知識と技能の習得(こっちは従来の詰め込み型と同義とみていいと思います。つまりインプットですね。)はもちろん,これらを活用して課題を解決する力(こっちがいわゆる生きる力であり,アウトプットを指します)の涵養することを教育の目的としていると書いてあります。

よくわからないので,もうちょっと具体に「分数」に関する記述を探すと,学習指導要領には,目標として「分数の加法及び減法に関わる数学的活動を通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する」みたいな書きぶりがされていて,分数計算ができるようになることの目的ではなくて,達成目標,ゴール設定として出現します。

教育基本法には,教育の目的が書いてあります。

(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教育基本法

難しくて曖昧で,ふわふわしていますね。
(そもそも法律ってこういうものなのです。こういう夢をどう具現化させるか,についてこれに属する下位法規やその他もろもろに落とし込んでいくのです。)

なので,まぁこれ子どもたちに説明しても,理解は得られないでしょうね(理解を得ようと思ってつくられたものでもないでしょうし)。

これらはすなわち国力をあげるために,ひとりひとりの水準を上げようというものなのでしょうから,その視点に立てば,国の力と自分という,簡単には結び付かないことが彼らひとりひとりには響かないのはあたりまえですし,それどころかこの説明では僕のハートも1㎜も動きませんから。

(同じ理屈で,自分が通う高校や中学が県で1位の成績だったからうれしい!とか,1位になるためにみんなで10点ずつ点数をあげよう!みたいなことは個人には響きにくいです。学校の評価と自分の評価は別物ですから。これやるには組織への従属感とか愛着とか,チームの一員であるという一体感みたいなものの醸成が先なので,チームのみんなが力を合わせるための条件を前提としてそろえていなくてはなりません。)

そもそも彼らの疑問は「勉強したくない → やらなくてもいい理由探し」から派生していると直感するので,もっとわかりやすいストレートでリニアな理由を提示してやらなくてはなりません。

否応なく勉強に向かわざるを得ない理由です。

強制性はモチベーションとマイナス比例する原則に照らせば,学問の探求にワクワクドキドキするのがいちばん効果が高いところですが,できなかった分数計算があるときできるようになってすごく算数を勉強するのが楽しくなった!というような感想を持つ子どもは一握りです(一握りですが確実にいます)。
したがって,ドキドキワクワクしないまでもなんとなく腹落ちするような何かが必要なのですが……。

  • 大人になればわかる。
  • 将来の選択肢を増やすため。
  • ひとは元来,学ぶ生き物なのだ。
  • 社会や世界の真理を探究することは大切なことだ。
  • 新たな概念を創出するには,現在の知見を学ぶ必要がある。
  • 学びを通じて,社会を理解し,ひとを理解し,自己を理解する。

あるいは単純に「事務処理能力をあげるための基礎だよ」というのはどうでしょうか。
「将来,高等教育を受けるための基本だよ」とか,「ミライの選択肢を拡げるためにも基礎学力は重要なんだよ」とか。

まぁどれもややこしいだけで響きません。

小学生の疑問

たとえば,将来就きたい職業という観点で考えると,条件として学歴が求められるものはあります。医師などはその代表で,医師国家試験を受けるためには日本の大学の医学部を卒業することが第1条件であり(外国の医学課程修了者には別のルートがあります),その医学部に入る条件として入試科目(国語算数理科社会英語)を水準以上の成績をとる必要がある以上,分数を避けて通ることはできません。

また,高等数学でなくとも,中学校や高校までの教育課程で数学をとるには分数の計算はもちろん必須ですし,なにかしらコンピュータやプログラミングに関わるとすれば数学はこれまた避けられません。分野としてはAIや統計解析,画像処理など,ある程度限られますがそうでないとしてもまったく数学要素ゼロというわけにはいきません。

でもやっぱりこういうことじゃないんでしょうね。

で,結論。
コーチング的な対話を念頭に置くとこんな感じになります。

生徒「分数っていつ使うの?使いときないよね。」
コーチ「分数って使い道なくね?って感じてるんだね。」
生徒「今まで使ったことないし,使いそうにないから。」
コーチ「あーなるほど。普段の生活で使いそうにないよね。」
生徒「使わないならやらなくてもいいんじゃないの。」
コーチ「そっかー。分数やりたくないんだね。やらないとどうなるのかな。」
生徒「……。テストで0点になる。」
コーチ「ああ。確かに。テストでわかんなくて困るね。他には?」
生徒「……。宿題ができない。
コーチ「おお,そうだね。それはそうだね。宿題できなくて,テストも0点になっちゃうかもしれないね。じゃぁ分数を勉強した君はどんなことができると思う?」
生徒「……。算数が得意になるかも。」
コーチ「そっか。算数得意になるんだ。そのことをどう感じる?」
生徒「うーん。算数好きだからもっと得意になったらうれしい。」
コーチ「おお!算数好きで,算数超得意になって,算数チャンピオンになったらかっこいいよね!」
生徒「うん!かっこいい!!」

実際の対話ではこうもうまくはすすまないでしょうけれど。
大事なことは,彼らに考えてもらうことなので,君はどう考えるのか?と聞いてあげれば十分です。
(質問には直接答えていませんし,論旨をズラして誤魔化している,すなわち誠実でないようにも感じるかもしれませんが,もともと本質的に正しい解答を求めているものではないと思うので,小学生の段階ではこれでよいと僕は考えています。)

分数なんて必要なさそうだからやりたくない。

という固定化した想いを

もうちょっと複雑でフワフワしていて,明確に何かはよくわからないけれど,でもやらないと当面困るよね。やりたくないけど,やったほうがいいのかな?やらなくってもいいんじゃないかな。まぁでも宿題だしもうちょっとだけやってやるかー。

みたいなことをモヤモヤ考えて,必ずしも「自分の考えだけが真理ではないかも」ということに気が付いてもらえればよいのかなと思っています。

いつもコタエはわかりやすいところに,わかりやすく期待したとおりに落ちているとは限りません。
明快なコタエがなくとも,納得できない想いを心のどこかに留保しつつ,でも当面は目の前の問題に取り組むことで,ジレンマを上手にやりくりするスキル(こういうのをネガティブケイパビリティといいます)が身に付くかもしれません。

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