MENU

ミライデザインラボ

室長ブログ

怒ると叱るの話。

以前にも書いたことがあるんですけれど,怒ると叱るの違いについて。
最近また「叱る」と「怒る」は違うという話を力説されたので,あらためてこの件を考えてみました。

結論,同じじゃないけど似たようなもんだと思います。

なかなか理解されずらいかもしれませんが,叱ってるひとはほとんどの場合怒っていると思うからです。

なんで怒っているのかというと,自分の都合が悪いからです。

ひとにとって自分の都合は最強の理由です。
また,そのひとにとっての行動の理由は「都合しかない」とも言えるものです。そして都合によって結論はいつでも左右されてしまうものなのです(そういう意味ではこの結論も僕の都合でできているのでしょう)。

子どもが騒いではいけないところで,騒いでいるのをみて「静かにしなさい!」と怒鳴りつけたとしても「静かにするんだよ」と静かに叱ったとしても,そのスタートは「うるさいと感じたことです。」

うるさいと感じてもいないのに,静かにして欲しいとは思わないものです。そしてのその「うるさい」というのは,それを感じた者の価値観によるものであって絶対的な「うるさい」でもなければ,「うるさいからダメ」というものでもありません。

そしてこのとき,本当に「静かにしなくてはいけない場所であり,この場で騒ぐことはいけないことなのだよ」ということをただ伝えたいだけなのだろうか?と自分自身に問うてみると意外な気持ちが見えてきませんか。

子どもを静かにさせていない私
しつけができていない私
常識のない子どもを育てている私
周りの目が気になっている私
私をそんな気持ちにさせている子どもたち
なんとかしなくてはいけない

ともあれ,「都合が悪い」と感じているのです。

もちろんそうでないこともあります。
「場」での「振る舞い」をどうするべきか?といったマナーとか道徳とかいったものの知識を伝える場合です。

ただ知識として「こういう場面では静かにするべきだ」ということを教えるとすれば,それは叱るではなくて「教える」とか「説明する」とか「諭す」とかそういうことになると思うのです。

これはつまり「ダメ出し」を含んでいません。
行動への強制性も含んでいません。
新しい知識を伝えるとき,これまでの知識が間違っていてその行動をとったあなたはダメなのだということを含みまず,ただ知識を伝えるだけです。

そして,結論は子どもに委ねられます。
教えられ,説明を受け,諭されたとしても,引き続き騒がしくすることもできるわけです。

反対に「叱る」というのは,その中身はどうあれ指示に従うことを強要するものですから,要するに「言うことききなさい」と言っているのとそんなにかわらないのではないだろうかと僕は感じています。

「怒る」は怒ることで無理矢理にこちらの都合にあわせるよう強要する短絡的なコミュニケーションでもありますから,その意味では思慮深いことと,工夫をしている点で,叱ると怒るは異なりますが,本筋はまぁ似たようなもんかなという結論です。

どうも僕はこの議論を
「怒る」はダメで,「叱る」は良い!
と切り分けすることで,親が子に強制させることを正当化しているような気がして,腹落ち感が少ないというか,強制させるのであれば堂々と教えたらいいのではないだろうかと思うのです。

親が子に教えることはあたりまえにあって,それは親の価値観に基づいていたり,世相や時代に紐付いていたりするわけですが,その点で自立性とか主体性を阻害する可能性はありますけれども,親の考えや価値観が絶対的なものではないという前提になって,私はこう思うし,あなたにも理解して欲しいという最大限の自由を子どもたちに与えた上でお願いする程度の強制性はあってもよいのではないかと。

「怒る」強制性はダメで,「叱る」なら良いというのもたぶん親の都合です。

子どもからすれば「怒る」も「叱る」も納得無く,行動を抑制されてしまうという点では似たようなもんなのかなと思うのです。

だからたとえば感情的に「怒ってしまった」としても,それだけで自分のことをダメな親だと考えなくてもよいと思います。

怒るではなく,叱らなくては,とどこかで聞いた変な理屈を真に受けて「叱る」ができない私ってなんてダメなんだろうなんて感じなくても良いのです。

どっちも似たようなもんです。

気持ちに余裕があれば,ぜひ「教える」を考えてみて下さい。先にファミレスで騒がしくするお子さんの話で言えば,その瞬間「怒る」か「叱る」かしてしまうのは決しておかしなことではありませんし,その場をおさめるためのなんらかの言動は必要です。

手っ取り早い方法を選んでしまうことも人情です。

周りの目が気になることだって至極当たり前のことだと思います。

ですから,その後,家に帰って落ち着いてから教えてあげたらいいのです。落ち着いて静かにお願いしたらいいのです。

「ああいうとき,お父さん(お母さん)も周りのひとに迷惑をかけてないだろうかって心配になって困っちゃうんだよね。あなたは楽しくて大きな声になっちゃうんだよね。それと同じように静かにご飯を食べたいなー,静かにご飯食べる方が楽しいなーって思っているひともいると思うの。それでお願いだけれど,周りにお客さんがいるときは,みんなが楽しい気持ちで食事したほうがいいと思うから,あなたも少しだけ声を小さくして楽しくご飯食べようよ。」

ぐらいでいいじゃないですか。
難しく考えなくてもいいと僕は思います。どっちにしても互いの価値観が相容れないトレードオフな話をする場合はある程度の忖度が必要ですし,日本人なら空気を読んで行動することも必要ですから,まずはその場をしのいであとでゆっくり相談してみよう!というぐらいのスタンスが大事だと思います。

お子さんからすれば「相談」とか「お願い」という横の関係での話と,どのような言い方になるにしても一方的に押しつけられるよりはずっと素直に耳を傾けられると思いますよ。

自我の芽生えた反抗期のお子さんならなおのことかなぁ。

< ブログ一覧ページに戻る

上矢印