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ミライデザインラボ

室長ブログ

教えないほうが成績があがる?

おもしろい記事を見つけたのでシェアします。東洋経済ONLINEの記事にリンクしますので,読んでみてください。

東大生断言「教えないほうが成績上がる」その真意
/東洋経済ONLINE

https://toyokeizai.net/articles/-/723245

教えない方が成績があがるというのは,なかなかにセンセーショナルな見出しですが,教えることが駄目といっているわけではもちろんありません。

ラボが積極的に「教える」とか「指導」しないのも上の記事にあるような理由なのですが,まだこのような言葉を聞くと違和感たっぷりに感じられるお父さんお母さんもいらっしゃるのではないでしょうか。

というか,そもそも勉強をするとか学習するという言葉には,まだまだ「先生が何かを生徒達に教えること」を指す場合が多くて,ラボが考える「学習」とは違うなと思うことが少なくありません。

勉強はいずれにしてもひとりでするタイミングが必要です。
説明を受け,理解を促されても,それだけでは学習と呼ぶには足らず,自分でそれを確認し,思考し,その結果教えられたことを腹落ちさせるための時間が不可欠なのです。

試験後の見直しや解き直しが重要だと口を酸っぱくして言うのも同じ理由です。
多くの子どもたちが試験後の答案を見て,良い点だったからよかった,悪い点だったからがっかり,といった一喜一憂は毎回するのに,肝心な見直し,解き直しをせず,やりっぱなしになるのです(その時々の得点なんてオマケです。大切なのはわからなかったこと,できなかったことの確認で,それを今後どうしていくのか?にこそ試験の意義があると僕は考えています)。

我々は試験をすることで(アウトプット),記憶の確認や思考を洗練させます。そうして自分のものにしていくわけです。自分のものにすれば,その後は特段の訓練なく(無意識に訓練を継続することはあります)継続してそのスキルを使うことができます。いいえ,一度そうなってしまえばやろうという意識すら必要ありません。


しかし,それには一度アウトプットするだけでは不十分。
せっかくまちがえた試験問題たちがかわいそうです。
なぜ間違えたか。どこの考え方がちがったか。あるいはどの知識が不足していたのかを確認したうえで,しっかりと補完し,やり直し,訓練を重ねなくては次も同じように間違えます。これを怠ってただ問題を解いただけでは「勉強した」とか,「学習した」とか言わないのです。

授業で先生が一方的に話す,解説するだけなのも同じです。
先生が話をする時間をどれだけ増やしてもそれだけでは学習にはならないのです。
だから,塾に行っても成績はあがらないし,このやり方ではこれからもたぶんあがりません。

先生が教える,すなわちインプット学習はもちろん必要なのですが,本当の学習のコツはこのあとにこそあります。だからラボではわからなくて困っているところをフォローしますが授業はしませんし,なんならいっしょに調べたり,いっしょに考えたりするだけで,解法をそのままストレートに伝えないことも多々あります。

それは自分で考え,自分で調べ,自分で咀嚼して,自分のものにする過程を知ってほしいからです。

手取り足取りの指導では,「指導したことしか意識できません。」
これからの時代は,圧倒的な情報過多のなか,いかに自分にとって必要な知識を自分で集め腹落ちさせるか,その取捨選択をする能力がとてつもなく大切になります。

教えられたことしか,わからない子どもたちには時代の荒波を泳いでいくことはできません。教えられることなんて,知らなくちゃいけないこと,知っておいたほうがいいこと,そして自分自身が知りたいこと,に比べれば本当にわずかなものです。教えられるのを待っているだけでは,必要なことはそろいません。自分で獲得するための技をいま,学んでおく必要があるのだと僕は強く感じています。

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