「怒らないから言ってごらん。」
と言っておいて,正直に話をすると結局は怒られてしまう。
なんて話はよく聞きます。
親子に限らず,上司と部下や先生と子どもの間でもそういうことは頻繁に起きています。
こういうのをダブルバインドと言いますが,これをやってしまうともう二度と本音を話してくれなくなるのは自明の理です。ひとは学習する生き物ですから。
親や上司,あるいは先生と言われる立場のひとはこのことをしっかりと肝に銘じておく必要があります。
それで,そのあたりを考えて,賢明なひとは「怒らないから言ってごらん」という,言わば「できない約束をしない」という選択肢を選ぶわけです。
できない約束はほかにもたくさんあります。
- 「急いで支度して!モタモタしてるなら,もうおいていっちゃうよ!」
- 「門限を破ったら,もうおうちには入れませんよ。」
- 「勉強しないなら,おもちゃ買ってあげないよ。」
これらの交換条件は,いずれもできない約束を含んでいます。
罰則をちらつかせて,行動を制限する方法は,反対からみれば罰則を受け入れることができてしまえば,条件を呑む必要がなくなるのです。その時,本当にその罰則を実行にうつすことができる,あるいはその覚悟があれば必ずしも「できない約束」ではないのですが,多くの親たちが,子どもたちは「最終的には言うことをきくだろう」という前提で条件を付けているのです。
しかし,子どもたちはいつまでも子どもではありません。
その言葉が示す意味をしっかりと理解し,行動原理に従って罰則を受容するほうがメリットが大きければいずれそちらを選択するようになるでしょう。
冒頭で示した例はその最たるものです。
本音を示して叱られるのであれば,叱られない方法を選択するでしょう。
すなわち本音を隠して,相手が望む回答を用意するようになるかもしれません。あるいは,本音をただひたすらに隠し,目前の危険を回避することを選ぶかもしれません。この時,本当のことを話さないことでさらに大きな罰を受けるとしても,「本音を言えば怒られる」とわかっていれば,「本音を言わずに黙秘を続けることで,さらに怒られる」かもしれない,という不確定なリスクよりも,まずは眼前の確定リスクを避けるような行動をとります。
自分で考えて選択して欲しい。
そんなふうに考えるのなら,子どもたちにも選択肢が無限にあることを知っておきましょう。
そして一生懸命に考えた選択であれば,仮にその選択肢そのものを支持してあげられないとしても,自身で考えて選んだことはまず認めてあげてください。
もしもそれができないのであれば,
あたかも選択権があるかのように提案したり,たずねたりすることはルール違反です。
そんなときは,開き直ってオトナはオトナの責任を
たとえば「理不尽な決定を呑みこませる」という無茶苦茶を行っているのだという自覚と責任を負って欲しいと思います。
それが親であっても他者が力で強制的に行動を決めるという意味においては
やはり受ける側からみるとストレスなのですから。
可能な限り選択肢を与えたいと思いつつ,強制力を発揮しなくてはならない(と思っている)タイミングはあるでしょう(もちろん僕にもあります)。
であれば,せめてそこに100%の正義があるとは限らないことを知っておきたいものです。