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ミライデザインラボ

室長ブログ

ミライデザインラボが考えるコーチング。#02 基本的なコア技能【5SKILLS】

みなさんこんにちは。ミライデザインラボ室長です。

さて,MDL式コーチングを考える第2回です。
今回は,コーチングに必要な5つの技能【5 SKILLS】についてお話します。

僕が考えるコーチングの技能は基本5つ。そして,これに加えてひとつの基盤となるマインドセット。これらの修得がコーチングには欠かせません。

また,コーチングは上司と部下や親子にも応用が利くと一応お話はさせていただきましたが,実のところ半分はホントですが,半分は嘘です。そもそもコーチングが効果をあげる前提条件として,(1)心理的安全性の確保,(2)多重関係を避ける,という2点は大原則なのです。

心理的安全性とは,簡単に言えば「何を言っても大丈夫!」と思える環境づくりのことです。

これには守秘義務と共感的,受容的な関わりなどが関連します。守秘義務契約はプロコーチにとっては極めて当たり前の概念ですし,共感的で受容的,肯定的な関わりは心理カウンセラーとしてもっとも基礎的な関わりと言えます。この信頼関係が確立された状態をラ・ポールと言ったりしますが,ラ・ポールの形成にコーチング初期のエネルギーの多くを費やすのです。ラ・ポールができあがった状態を心理的安全性の確立された状態と言い換えても差し支えないでしょう。

そしてもうひとつの多重関係を避けるという点ですが,コーチとクライエントは,その関係性だけにとどめ,基本的にそれ以外の関係を避けたほうがよいとされています。コーチとクライエントであり親子であるとか,上司と部下であるとか,恋人同士であるとか,家族であるとかそういった複数の関係を持っていると,コーチングの難易度はいっきに上がります。想像してもらえればわかりますが,関係性がニュートラルを保てず,深まったり薄まったりすることで,コーチとしての考えよりも個人の想いが表面に現れてしまい,サポートが困難になるからです。

親子や大事な部下,あるいは恋人であれば,過剰な愛が注がれやすくなることは想像に難くないでしょう。過剰な愛は愛するがゆえに,クライエントの成功を願うばかりに失敗を怖がったり,クライエント本人の考えや想いを抑えてしまったりしかねません。コーチングでは,クライエントの意志をなにより尊重することが重要なので,本人の気持ちを愛で上書きすることを良しとしていないのです。

ただ,これを踏まえたうえで,上司と部下,親子,におけるコーチングはある程度効果をあげるやり方もあるので,また別の機会に書こうかなーと思います。

さて,今回取り上げるコーチングの基本である5つのスキルは,

  1. 観る
  2. 聴く
  3. 認める
  4. 問う
  5. 話す

の5つです。
これらをひとつずつ見ていきましょう。

観る

コーチングはクライエントをよく観察することからスタートします。
表情,しぐさから始まり,その変化や話している言葉とのギャップを観察します。呼吸のタイミングをあわせたり,視線がどこに向かっているかを見たりもします。目は口程に物を言うとも言いますが,7-38-55Rule(アルバート・メラビン,1971「Silent messages」)によれば,人が発する言語そのものから受け取る情報量は視覚や聴覚から得られるそれらよりもはるかに少なく,話し方や声質,視線,姿勢,あるいは表情から受け取る情報がいかに重要かが示唆されており,これに照らしてもしっかりと観察することはコミュニケーションスキルとしてとても重要です。

聴く

クライエントの話をさえぎることなく,じっくりと聴きます。興味をもって,ただひたすらにその声に耳を傾けます。大事なのはコーチ自身の価値観を横に置いておいて,クライエントの言葉を共感的,受容的に聴くことです。

アクティブリスニングなんて言ったりします。ただ聞くだけではないということです。
続く「認める」スキルに直結するこの「聴く」スキルのもっともメジャーなテクニックは,「うなづき」や「あいづち」です。合いの手を上手に入れることで,話し手は話すことをどんどん促されます。頭の中や心の中を言葉にすることで自分の考えを整理し,自分の言葉を自分の耳で聞くことで理解が再構築されるのです(逆輸入みたいなもんですね)。

米アレン・アイビィ博士の提唱するマイクロカウンセリング技法では「励まし技法」と呼ばれています。クライエントが自身について話し,内省することを促進する意味で「励まし」と言われています。普段のコミュニケーションにおいても重要な役割を果たします。

認める

「認める」スキルは,クライエントの存在そのものに敬意をはらって,ただそこにいること,ただそこにあること,を認めることをさします。とりわけコーチは自身の価値観と相反する考えや意見,価値観に対して,同意したり同調したりすることなく,ただクライエントがそう感じていること,考えていること,思っていることを「ああ,そういうふうに感じているんですね。」とそのままに受け入れます。これが「認める」スキルの本質です。

MDL式コーチングにおいては,とりわけこの認めるスキルの取り扱いに重点を置いています。認めるスキルは,カールロジャーズの来談者中心療法の原則によっていますが,その3原則は,

(1)肯定的受容
(2)共感的理解
(3)自己一致

の3つです。

これらの原則は,無茶苦茶大事なので,ここではさらっと流して別記事をエントリーしたいと思います。

問う

質問することは,クライエントのあたまの中に空白を作る行為です。ひとの脳は空白を嫌いますから,質問を投げかけられれば自動的にその答えを探そうとします。たとえばその時点でわからないことがあれば,その後無意識にでも探し続けるのです。あるとき,急にいろんな情報がリンクされ,突然目の前に答えが降りてくるなんて現象はこんな理由で起こるのだそうです。

問うことで,これまで気が付かなかった自分の中の重要な価値観に触れたり,あるいは狭まっていた視野を広げることにもつながります。四方八方を崖に囲まれた行き止まりのように感じる状況においては,往々にして視野狭窄に陥っており,重要なリソースや自身の過去の経験など,参照すべき事柄にすら目を向けられていないことも多々あります。yes or noで答えるクローズドクエスチョン,5W1Hで自由に考えを巡らせるオープンクエスチョン,ときには質問の後,しばし沈黙することでクライエントの思考をさらに深めることもあります。

話す

最後の「話す」は,「返す」とか「フィードバックする」とか「提案する」とか,いろんなことを含んでいますが,これまでのクライエント自身が自分自身と向き合うことを支援する工程と大きく異なり,コーチ(クライエントからみれば外部)からのアプローチの色彩が濃いスキルです。カウンセリングにおいては対決技法や積極技法と言われる工程に相当します。

「話す」に至るには,まずその瞬間ラポールの形成とその強度が重要です。ともすればそれまで作り上げたラポールは簡単に壊れてしまうものなので,慎重に,かつ勇気をもって大胆に進めなくてはなりません。

まとめ

なんとまぁ以上がコアとなる5つのスキルなのですが,いかにも誰でもできそうな感じですよね。
そうです。誰でもできます。
あまつさえ,天然コーチは世の中に無数にいるだろうと僕は常々思っています。特にコーチングを知らなくても,意識しなくても自然に実行できてしまっている天然コーチは,それだけで才能と言っていいのでは!と思っています。いわゆる「聞き上手」と言われるひとの中には,天然でコーチングができてしまっているひとが一定数いるのでしょう。

そのようなひとがいる一方で誰かを指導する立場のひとはコーチングが苦手な方が多いです。
指導者は指導することが仕事です。だからこそコーチングは自然には難しいでしょう。

コーチングはクライエントの内側からある種のコタエが出てくるまで,クライエントの力を信じて待つ姿勢が必要です。他方で指導者は,指導を受けるものよりも優れていなくてはならないという重い足かせがあります。いいえ,本当はそんなものないのかもしれませんが,指導者は無意識に「上に立つ者」,「何かを教えなくてはならない存在」であろうとします。そうでなければ指導者としてのアイデンティティを失うかのように。

しかし,そのような意識はコーチにはありません。コーチはクライエントと対応。あくまでも横のつながりのひとつです。したがってコーチはクライエントよりも能力が劣っていることもあるでしょう。まして,自身の不得意な分野においてはあたりまえのように起こります。それでよいのです。

コーチはクライエントの傍らで,クライエントが自身の力で目標達成する過程を共に伴走し,あるときは課題解決の方法をいっしょに考え,あるときはくじけそうなクライエントを奮い立たせ,支援者に徹します。そしてなによりクライエントの目標達成を心から応援する存在です。

コーチングの5つのスキルは,このようなコーチングを行う者のマインドセットがあって初めてスキルとなります。コーチングに興味があるひとは,これらのスキルを念頭において,他者との会話を意識してみてください。良い聴き手であるためにどうすればよいかを意識し始めれば,コーチングのドアが少し開き始めますよ。

ところで,これらはしかしコーチングが万能で,指導するニュアンスの強い,いわゆる「ティーチング」や「コンサルティング」が役にはたたないということを意味しません。コーチングではクライエントの内側からその能力を引き出すことにエネルギーを注ぎますが,そもそもクライエントが持っていない知識を引き出すことはできません。これらを可能にするのはやはり「教え,指導する」ことなのです。

要するに役割の違いであり,適材適所なのですね。

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