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ミライデザインラボ

室長ブログ

ミライデザインラボが考えるコーチング。#03 ―なぜ,コーチングを受けるとジリツが促されるのか。メタ認知とは。

ミライデザインラボが考えるコーチング第3回です。
細かい技術論はさておき,そもそもコーチングを受けるとどうしてジリツが促されるのかを考えてみましょう。

ポイントは3つ。

1.メタ認知力の向上
2.心理的安全性の確保
3.目標達成へのコミット

ひとつずつお話していきましょう。

1.メタ認知力の向上

コーチングセッションでは,コーチを自分の鏡として映した自分自身と対話を続けることで,普段考えてもいなかったことを考える時間が増え,これまでまったく気が付いていなかった自分のこと―たとえば感じ方の癖や大事にしている価値観―に気が付いたり,あるいは忘れていた出来事や自分自身の行動の振り返りが行われます。

このような自分が気が付いていなかった自分のことに触れたり,行動の振り返りをすることを「内省」といいますが,内省はクライエントのメタ認知スキルを向上させる効果があります。そしてコーチングはこの内省を促す効果があるのです。

コーチング → 内省を促す → メタ認知力の向上 → ジリツを支える

ポイントとして,内省は反省とは似て非なるものだということを覚えておいてください。反省は自身の行動や考えの悪かったところを翻って改善する行為ですが,内省は自身の悪いところやウィークポイントを見つける行為ではありません。いかなる自分とて,自分であることに変わりはなく,いったんはそれを受け入れます。そもそもそれらを善悪と評価づけるための振り返りではないのです。自身の内面を客観視し,できれば複数の着眼点でもって俯瞰することが内省です。内省は「ジリツ」を促すスキルと言えます。

さて,人材育成において「メタ認知」は極めて重要なキーワードです(見出しの「メタ認知力」という言い方はたぶん……しないと思います,なんとなく「ジリツに必要な基盤的能力だよ!」感が伝わればうれしいです)。

メタ認知というのは,認知心理学の領域から生まれた言葉だそうですが,メタな認知,すなわち認知していることの認知……要するにまぁ大意で「俯瞰して自分自身を観ること」を言います(このとき複数の視点から観ることができれば最高です)。
自分自身を俯瞰してみなさいとは割とよく聞くアドバイスのような気がします。ところが,これをひとりで行うことは実は本当に難しいのです。なぜならひとは基本的に主観でしか物事をとらえることができず,すべての事象を無意識にまとった色眼鏡を通してでしか観ることができないからです。

たとえば,ひとの脳は消費エネルギーを抑えるという観点から,何度も反復して覚えた考え方や感じ方,あるいは行動=プログラムは自然にオートマチックに処理できるようになっています。怒り,恐怖,不安,喜び,これらの感情とてもプログラム化されることで,いつしか複雑なプロセスを飛ばして自動的に呼び起こされるのです。その方がエネルギー消費を抑えられますし,一度「快」を得た選択肢は再現を繰り返すことでより定着し,今の平穏を可能な限りキープし続けられるようオートマチックプログラム化するのです。

たとえば,犬をみて「怖い」と思うのか「かわいい」と思うのかはひとによって異なりますが,最初から「怖い」とか「かわいい」とか瞬時に感じていたわけではなく,初めて犬を認識して以来,様々な条件下でそれに応じた「感じ方」や「感情」を選択していく中で,その発生頻度や印象の濃淡などを長い時間をかけて学習し,少しずつそのひと個人の感じやすさ(感じ方の癖)ができあがっていきます。

これが確立されることで,状況や犬種,犬の状態(怒ってる?喜んでる?など)など本来であればそれを総合的に勘案して感情を決定するべきところを,そのプロセスをすっとばして「犬をみたら怖がる」という条件反射的に作動するプログラムをつくっていくのです。

極端に言えば「犬→小さいころに追いかけられた→怖かった→また追いかけられるかも!→近づかないでおこう!」という感情や行動決定プロセスを頻繁に使っているうちに,脳がこれをいちいち考えるのめんどくさいし,疲れるから「犬→遠ざける」というショートカットキーをつくってくれる感じです。ひとたびショートカットキーができてしまえば,以降は毎回自動的にショートカットされるようになるのです。

色眼鏡の外し方

このようなプログラムを色眼鏡と先述しました。

こうしてできあがった色眼鏡は,厄介なことにいつでも自動的に発動するので,脳のエネルギー消費を抑えるという観点や危険回避行動の決定速度(生存確率をあげる)の観点から観れば,いいことずくしである一方で,そのひと個人の成長にとっては必ずしもプラスに働くばかりではありません。

なぜなら作り上げたプログラムは歪んだ認知となり得るからです。

物事には必ず多数の側面があり,白と黒の2色でできていることは本来的にありません。
にも拘わらず時間をかけて歪んだ認知を固定化していくことで,必要なときに柔軟な考え方や物事の観方ができなくなる確率があがるのです。

メタ認知力は,この歪んだ認知に自分で気が付くチカラ,固定化された概念を「固定化されているかも!」と気が付くこと,あるいは自分はこういうとき,こんな風に感じることが多いな。なぜだろうか?そのような感じ方をするとどんな良いことが(悪いことが)あるだろうか?たとえば別の視点から観てみることはできないだろうか?と複数の俯瞰した眼で自分自身を眺めるチカラを指しており,これを向上させることで物事の幅広い観方や柔軟性を獲得すること,多様性を受け入れる器の醸成―自分や他者の存在・考え方はそれぞれ異なり多様であること,違っていてよいこと,ゆえにありのままの自分・他者を肯定的に受容できること―,あるいは二律背反するジレンマを昇華させたり,白黒つけず留保したまま放置したりすることもできるようになります。

しかしこれをひとりで達成することは冒頭で述べたように本当に難しいのです。
コーチングではコーチとの対話によって,普段自分が思考しない領域への話の展開や促し,あるいは質問によって強制的に自身の内側へ向けられます。その結果,その時自分があたりまえだと思っていた感情,考え方,行動が本来無数にあってよいはずの選択のうちのひとつであり,それがすべてである(あるいは正答である)と考えていた感じていた)ことに気が付くのです。

そしてそれらすべてを色眼鏡でジャッジすることなく,等価値であることを受け入れることで柔軟性や幅が拡がったり,視座が上がり,視野も拡がります。色眼鏡を完全に外すことはたぶん無理だと思いますが,それに気が付いているかいないかが重要なのです。自分の考えや感じ方がすべてである!と思ったり,感じたりしたとき,「あれ,まてよ。もしかしたら別の考え方もできるかも」といつもと異なるルートに気が付くだけで十分だと僕は考えています。

※余談ですが,実際は視野が拡がることで困ることもあるので,視野の広さでひとの優劣を語ることはできません。狭い方が有効に働くことも多々あります。ただ僕個人としては大は小を兼ねることから,視座は高く,視野は広い方が社会貢献しやすいのではないかと感じていますし,子どもたちには視野が拡がるような関わり方をしたいと考えています。

本日のまとめ

今回はメタ認知について少しだけ私見を書きました。
認知心理学の専門家ではないのでコーチング視点で述べましたが,もしかしたら的を外しているかもしれません。専門領域について正しい知見を得たい方は,ぜひとも認知心理学の扉を開いてください。

また,内容はすごくりっぱなことのように読めるかもしれませんが,こんなすごい能力がスムーズに滞りなく身に着くなんてことはありません!しかし,これらを知っているか,知らないか,身に着けてみようと思うのか,思わないのか,たったそれだけの違いで10年20年先の自分はきっと大きく変容しているだろうと思うのです。

どうせできないんなら,知ってても無駄じゃん。
てことは絶対にないと僕は信じています。何かすれば何かしただけの成果はきっとありますよ。

さて,次回はポイントの2つ目「心理的安全性の確保」について書きます。

日本ではまだまだライフコーチングの正しい価値が認められていませんし,あたかも一部のエグゼクティブだけに必要なもののように扱われているのが現状で,それ以外のビジネスシーンにおいては別にエントリーした記事にも書きましたように,上司がマネジメント業務のひとつとしてコーチの役割を担う―そのために上司はコーチングのスキルを学ぶというコストがかかることに目をつぶって―という非効率的なやり方というか,そこにコストをかける文化がまだ定着していないという印象です。

近い将来,カウンセリングやコーチングを逡巡なく受けられる社会がきっと来るでしょう。ひとはひとりでは生きられませんし,相談する先はどれだけ多くても困ることはありません。コーチの助けは,ひとりでは難しい深い内省を促すための自身の3つ目の眼としてあなたを補助します。中学高校時代から内省力を高めるトレーニングを重ねることは自分の成長を加速させ,なりたい自分,在りたい自分になることができるはずです。コーチとのマンツーマンのコーチングセッションは,メタ認知という重要なキーワードであるスキルを獲得するために大いに役立つ最高の時間であることは間違いありません。

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