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ミライデザインラボ

室長ブログ

やる気にスイッチなし。

「やる気」って割と便利に使われちゃうし,自分でも使ってます。

勉強をコツコツ続けていくのに「やる気」というのは本当にあてにならないステータスですよね。やる気って出たり,なくなったり簡単に上下するし,維持しようにも思ったとおりにはできないですし。

たとえば子どもたちと話をしていると「今日はやる気がでない」とか普通に言いますが,たとえば本当に「今日はやる気がでない日」というのがあるとして,その日,学校に行ってみたらものすごく楽しいビッグサプライズイベントとかそんなのが始まったりでもすれば「やる気」出たりするわけですよね。

だとすると,そのやる気って,今その瞬間,そのひとを取り巻いている何かを根拠にできあがるものってことだから,言ってみれば「やる気が出ないから授業受けたくない」とか「やる気がなくて,勉強する気になれない」のは,「やる気」のせいじゃなくて,勉強したくないから「やる気出してない」だけということです。

あたかもやる気がでないから「仕方がない」みたいに使われちゃいますが,やる気は出ないんじゃなくて「出さない」んですね。

『アドラー心理学』では自己決定性といって,この手の感情の類いも「目的」があって自分で感情を決めていると考えられています。

だから「勉強を回避するため」に「やる気を出さない」というのが正解なのです。

問題は,じゃぁ勉強するためにやる気を出しなさいと言っても出てこないところです。こればっかりは本人が決めることなので,他の人のチカラは直接には及びませんから,僕らにできることはせいぜい勉強ができる環境をつくってやることと,「やる気でない」からと言って,自分で決めた目標をおざなりにしてたとえば雑談をしたがったり,遊んだりしたがるのを無視するぐらいです。

やる気が出ないのはあなたの自由。

でも僕の大切な時間を,あなたの暇つぶしには付き合いませんし,あなたがやるべきことをしないことで出る結果はあなたが責任をとるのですよ,ということを「叱る」でも「怒る」でもなく,ルールと僕の気持ちをそのまま伝えるだけです。

「申し訳ないけれど,僕は今,あなたとの雑談に応じる時間ではないと思うし,あなたはあなたが決めたことをした方がいいと思う。雑談の時間がとれるようになったらそのときにまたお話を聞かせてもらうよ。」

自立を願う以上,適切でない行動については徹底して応じず,適切な行動に対して適切な反応ができるように心がけたいです。

自分が決めたルールや約束を守らなかったり,やるべきことをやらなかった場合の多くで,その後,本人にとって良くない結果が出るでしょうけれど,そのときも「ほらみたことか」とか「言ったとおりでしょ」みたいなことを言わずに「残念だったね,次はうまくいくように考えてみようか」と相談にのってあげてください。

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