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親と子のコーチング

親と子のコーチングを考える。#08-親子関係を築くベースは自律分散型組織が良い話。

コーチング学習塾ミライデザインラボ

親子関係を築くベースは自律分散型である方が良い。

こんにちは。
コーチング学習塾ミライデザインラボ室長です。

親と子のコーチングを考える。今回はものすごく理屈っぽい話をしようと思います(いつも理屈っぽいので今回はさらに…ということになりますね)。
僕の考え方の元になっているのは,かの心理学の3巨頭のひとりアレフレッドアドラー博士の提唱する個人心理学,いわゆるアドラー心理学です。なので,これからする話も多くはアドラー心理学から知見を得ているものですが,ここで話をしている親と子のコーチングは,それに長い間固定的というか安定した組織で仕事をしていた僕の経験と,その中でひとがどのように生きているかということを観察,考察したことを加えて,今のところのひとつの解答とした考え方です。

さて,ここでは「自律分散型組織」というものを考えてみたいと思います。
自律分散型組織は,僕が目指した組織形態のひとつで,管理者や支配者を持たない,所属するすべての者がそれぞれ自律的に組織のミッションに向けて努力し,もって組織の幸せを願うものです。

自律分散型組織の僕の勝手なイメージ

とりわけ前職を辞める直前の数年間はほとんどこればかりに想いを馳せていました。
道のりは簡単ではなく,道半ばどころか,1/10にも満たないところで挫折はしましたが,しかしこれは目指すべき理想であり,現実に届くか届かないかに関わらず,その努力を絶やしてはいけないものだと今なお考えています。

勇気の心理学を提唱した者,アレフレッドアドラーというひとは,共同体感覚(Social Interest)という概念こそが人類が持続的に発展し,世界中,いえ宇宙中を幸せにするために必要なものだと考えました。そして共同体感覚はそれぞれの内にあるものだとも言っています。もしかしたら自律分散型組織というのは,それに近いもの(ひとつの組織とか,ひとつのコミュニティとかいった宇宙に比べれば,すごく小さな単位のものではありますが)ではないかと僕は考えています。

各々が利己的に自分の利益を考えることで,結果として全体の利益を目指すものです。
個人の責任感や向上心に組織があぐらをかくことなく,自己犠牲やブラック企業のような一方的な搾取でもなく,実現不可能な理想論でもありません(たぶん)。自律分散型組織についての中核となる理論を,しっかり書くとそれはそれは長くなってしまうので,いつか別記事にエントリーしたいと思います。

アドラーは,教育に人一倍興味を持っていたといいます。
教育の本質とは何か,という問題にもしっかりと向き合い,ひとつの結論を出しています。その中で,教育は「交友」のタスク ―アドラーは人生には3つのタスクがあると言っています。ひとつは仕事のタスク,二つ目に交友のタスク,三つ目に愛のタスク,最初から順に難易度が高くなっていきます― であるとし,教育において最も重要なのは「尊敬することである」と言っています。尊敬するということは,ここではとりわけ「一方的な信頼」と考えてください。

「教育」という概念は,親子関係のそれを必ずしも指すものではありません(どちらかというと師弟関係でしょうか)。親と子のコーチングにおいても,親子という関係性と同時にコーチとクライエントという2つの関係を持っていることから,純粋な親子というよりは,少し離れた人と人との関係性(師弟に近い?)を強調したいと思います。

従って,コーチングを意識するとき,我々は子に対する尊敬(一方的な信頼)をいつもよりも強く意識して欲しいと思っています(もちろん親子関係においても尊敬という概念は重要です!)。

さて,尊敬すること=一方的な信頼とはなんでしょうか。
一方的な信頼とわざわざ書いたのは,相互信頼について,よく誤解されるからです。相互の信頼というと,お互いに信頼し合う,ということなのですが,アドラー心理学では相手からの信頼を期待する行為を肯定的に捉えていません。自分が相手を信頼することは自分にできることですが,それをもって相手が自分を信頼するかどうかは,相手の課題だからです(課題の分離)。
もしも相手からの信頼を期待すると,そうでない場合に「相手が裏切った」とか「相手が悪い」ということになり,これはつまり「他者の評価」を求めていることになってしまいますから,他者の評価を軸として自分の人生を決める言わば「他人の人生を生きること」になってしまいます。

他者評価を軸に行動を決めているうちは,本当の自信は生まれません。

したがって,ここでいう「信頼」,つまり教育において必要な「信頼」は一方的に子どもたちを信頼するということを意味しています。

尊敬とは,相手を信頼することです。
信頼とは無条件のものです。
相手が自分を信頼してくれるかどうか,相手が自分の期待を満足させてくれるかどうか,は関係がありません。たとえそうでなくても信頼する覚悟をもってください。

お子さんが失敗するのではないか,彼らにはまだ早いのではないか,宿題をやらないのではないだろうか,遊びに夢中で大事なことを忘れてしまうのではないだろうか,私とした約束を守らないのではないか,周りに迷惑をかけてしまうのではないか…。

親の期待を満足させるために子どもたちは生きているのではないことは明白です。
しかし,それでもなお僕たちは子どもたちに期待せずにはいられません。そして,知らず知らずのうちにそれが行きすぎて,いつの間にか,自分の期待通りに生きてくれることを強く望んでいます。

家族というコミュニティに自律分散型組織の概念をとりいれると良い理由。

親と子のコーチングをしっかりと効果をあげるものにしようとするとき,それが実行されるベースである「家族」というコミュニティが自律分散型組織であることが重要だと,ミライデザインラボでは考えています(ラボもそのような空間であるように心がけています)。

そして,コーチングを成立させるためのもうひとつの条件が「お子さんを尊敬すること」です。
お子さんを尊敬することで,親と子はひととして対等であり,その価値は等価であることを体現できます。

このふたつはいずれも必要な条件です。いずれかが欠ければ,コーチングの効果は下がるか,成立しません。自律分散型組織は,個を尊重しますし,個を尊重しなければ,自律分散型組織は本来の役割をまっとうすることができません。

これらを成立させようとする意志は

このコミュニティでは「あなたをひとりのひととして扱い,私はあなたが家族のために貢献してくれていることに感謝します。あなたは”あなたがどうあれ”,家族であり,コミュニティの一員であり,私たちの仲間です」というあなたの想いを伝え続けることでもあります。「あなたは本質的に自由であり,あなたの考え方や価値観は尊重されます。」あるいは「あなたがただそこに居るということ=「存在」そのものがコミュニティにとってとても大きな価値があるのだ」と暗に伝えることとも言えます。

親と子が対等である,人として等価値であるという考え方はなかなか受け入れがたいかもしれません。
それと自律分散型組織がどう関係するのかもピンとこないかもしれません。

それでは,こんなふうに考えてみてください。

たとえば家族というコミュニティがあり,そこに所属するひとたちは「コミュニティへの所属感」を希求しています ―所属欲求はひとが元来持っている根源的な欲求です。ひとはひとりでは生きていけませんから,群れを成し,生き抜くための本能的な欲求でもあります―。そして自身の所属感が薄れれば,コミュニティの中で特別であろうとするために様々な行動をとります。たとえば,一般的な家族であればお父さんやお母さんが家族を率いる者でしょうから,お子さんは勉強をがんばってお父さんお母さんに認めてもらおうとします。その結果,お父さんとお母さんは「評価する者」となり,そこに上下関係(縦のつながり)が生まれます。

しかし,ここで大切なのは,本来,家族というコミュニティが目指すべきは”誰かを筆頭とし,筆頭者の指示や命令,ビジョンに従って運営されるようなピラミッド型コミュニティ”ではなく,”各々が独立(自立)してコミュニティの向上のために貢献し,その貢献感をもって自身の所属感を満たす”ことを成立させてくれる非中央集権型のコミュニティ=自律分散型組織ではないだろうか,ということです。

なぜなら,中央集権型では,家族の筆頭者の支配管理から逃れることはできず,それをもって子の真の自立が成立しているとは言いがたいからです。それどころか,筆頭者以外の大人とて,その支配から逃れることはできず,他者依存となり,自立からもっとも遠い存在になってしまいます。
筆頭者の価値観にそった人生,他者の評価を気にしながらそこに居ること,つまり「自分がコミュニティに所属することを他者に許可されている」という不安定感。そのような状況で,「自分がそこに居ても良いのだ」という根源的な欲求に対する確信を得られるでしょうか。

したがって,”家族”が安心して存在できる基地的コミュニティで在るためには,評価する者とされる者,という縦のつながりではなく,それぞれが,それぞれの能力や役割に応じてできる限りの力をコミュニティに対して注ぎ,ともに力を合わせてコミュニティの向上を目指すという横のつながりこそが最も重要で,かつ基本的な前提となります。

中央集権型コミュニティの弊害。

これら自律分散型と言われる非中央集権コミュニティでは,その中で,誰かに指示されるでもなく,支配されるでもなく,自由な発想で,自在に行動し,多様な在り方でコミュニティ(とそこにいる仲間たち)へ注力,奮闘するからこそ,たとえ誰にも評価されなかったとしても,自分はコミュニティに対して確かに貢献したのだという自信が生まれ,ひいては先に示した”自分はここに居ても良いのだ”という,最も根源的な欲求である所属感を満たすことができるのです。

繰り返しになりますが,自律分散型でない,ピラミッド型コミュニティは,筆頭者の支配,管理という概念を取り払うことが出来ません。その場合,管理者の承認がなくてはコミュニティにおいて自分の居場所は定められず,所属度合いは常に管理者が握っていることとなり,子どもたちのみならず筆頭者以外の大人を含めたすべての被管理者の所属感は不安定になります。

その結果,お父さんやお母さん(などの筆頭者)が承認してくれなくては,子どもたちは自分の居場所を安定させることができず,所属感が満たされません。安心できないのです。

勉強をがんばってみたものの,テストで60点を取ってしまった。そしてお父さんやお母さんに認めてもらえなかったとします。いいえ,たとえ90点を取っても,管理者たるお父さん,お母さんがしっかりと認めてくれなければ,クラスメイトたちを対象とした相対的な学習成績などいくら高くても無意味です。親に認めてもらえなければ,子どもたちはさらに勉強をがんばるか,あるいはひとによってはその方法では(自分の能力では)承認を得ることができないことを悟り,勉強をがんばるのではなく,別の方法で承認を得ようとします。

親が望む形で評価が得られない場合,子どもは<注目>を得ることで自分の居場所を作ろうとします。なかには,適切でない方法で注目を得ようとする子どももいるでしょう。親の期待する方法では簡単には評価されませんから,彼らの出来る方法で注目を受け,注目を受けたことでコミュニティに対する所属感を満たそうとするのです。

(不適切な方法で所属感を求めることから生まれる諸問題については,また別の機会に記事を書こうと思います。)

どうして勉強をしなくちゃいけないのか?という質問に対するこたえ。自由であること。

自身が自立すること。
自分がコミュニティに対して,(誰の評価もなくても)貢献できていると思えること。
そして,なによりコミュニティの中で自分は自分で居てもいいこと,自由が与えられているということが子どもたちにとってはとてつもなく重要なのです。

これは

「どうして,勉強しなくちゃいけないの?」

という子どもたちの問いに対するひとつの答えだとも思っています。

「そもそも勉強はしなくてはならないもの」ではありません。
勉強をするのか,しないのか,という問題は本人が決めるべき問題であり,本質的には自由な選択の下におかれています(もちろん本人の意志とは関係なく,否応なくあらゆる場面で勉強はしてしまっているものですが,ここでは子どもたちが時折,不満として口にする「勉強」のことを指しています)。
ですから,勉強はしてもいいし,しなくもいいのです。
そして,そのことは彼らにとって保証されるべき自由でもあります。
もしも勉強するのなら,それは彼らの自由意志によって決定されることが望ましいのです。

僕たち大人は,たとえば家族という小さなコミュニティに対して,無意識に貢献感を得ています。それはたとえば金銭的な貢献,家族への労働力提供という貢献,仕事をしてお金を稼ぐ,それを家族のために分配する。あるいは,家の仕事を次々とこなしたり,子どもたちの支援に力を注いだりすることで,貢献感を得ることができ,ひいては家族への所属欲求を満たします。自分はここに居て良いのだということを知っています(もちろん大人とても家族関係の中で,それが揺らぐことはあります)。

そのようなわかりやすい貢献感を得ることができない子どもたち,あるいは大人でも引きこもったり,いわゆるニートだったり,自分の存在価値を信じることができないひとにとっては,この貢献感は無条件に得られるものではありませんが,しかしそれでも子どもたちがこれを得ることはさらに難しいと言えるでしょう。

しかし,子どもたちにとっての貢献感=所属感を満たすための要素は,子どもたち自身が自ら湧き上がってくるそれでなくてはなりません。

親の評価や承認がなくては得られない貢献感では本当の自立には及ばないのです。
自由のない,他者の価値観に基づいた自分の価値では,真に自立することはできないのです。

自由の下,自分の力でコミュニティに貢献し,ほかの誰でもない自分自身が,あぁ私は家族に対して貢献できている,と思えることが必要なのですね。そしてそのための努力こそが本当に役に立つ努力であり,そのうちのひとつが「自分のために学ぶ」ということです。自分のために学ぶことが,家族というコミュニティの未来を向上させる重要なタスクであることに気が付き,お父さんやお母さんの評価とは関係なく,能力や得手不得手に応じてできる限りの努力をすることが,すなわち貢献感につながり,ひいては所属感を満たすと,いうことになります。

親が子の自由を奪うということ。

それでは逆にこのことを親の立場から考えてみましょう。

親は,子の自立を願いながら,同時に支配下に置いておきたいと思うものです。
その方が心配しなくてすみます。自分(親)の存在が役に立っていると実感できます。子が自立してしまえば,対等な立場となり,自身の権威を失うのです。
そして,それがなによりも恐ろしいのです。

我々は,子どもたちから「依存」と「無責任」を最もとおいところに置かなくてはなりません。自立を目指すと言いながら,選択の自由を奪ったり,結果を批判したりするのは,やはり避ける必要があります。

教育者は皆孤独です。
極論を言えば,親も教師もコーチも,子どもたちの自立を願うのであれば,彼らが巣立っていくそのときに決して「先生のおかげで自立できました」「お父さんお母さんがいなければここまで成長することはできませんでした」と言わせてはいけないのです。

自立とは自ら立ち上がることです。
親や先生に依存し,その力を借りて自立することは,真の自立とは言わないのです。少なくとも子どもたちは自らの力で立ち上がったのだ,と誇りを持って巣立っていって欲しいと願うのが,親であり,教育者です。そして,だからこそ我々は孤独なのですが,そうして巣立っていった子どもたちを見送りながら,誰も褒めてくれなかったし,感謝もされないが,彼らの自立に私は貢献できたと人知れず喜びを感じればよいのだと思います。

まとめ

親と子のコーチングをより効果的に行うのには,子どもたちを信頼し,尊敬することで,彼らは自分で自分の価値を見つけ,自立して家族に貢献することができると申しました。

そして,自律分散型組織はこれにふさわしい組織の形態であると信じます。

家族に限らず,それ以外のコミュティにおいても,おそらく同じです。会社でも友人同士の関係性でもです。すべての人間関係において,縦の関係ではなく,横の関係を築くことが大事であるとアドラーは言いました。ひとが幸福になるためには,自分自身で自分の価値を見つけ,見返りを求めない純粋な他者への貢献(貢献感)を経て,自分がそこに居ても良いのだという所属感を得ることが大切です。

それはひとが一人では生きていけないという,あまりにも当たり前のことを言っているに過ぎません。

ただし,順番を間違ってはいけません。
スティーブンコヴィー博士の「7つの習慣」では,私的な成功=「自立」の後に,自分だけ成功するのではなく公的な成功を目指すべきだと言っています。

私的成功(自立)を達成したひとが,次に公的成功=「相互依存」を目指すのが自然です。
社会には,一人では解決できない課題が山のようにあります。本当に自立したひとであれば,これをひとりで解決しようとはしません。一人では解決できない問題にどう向かうべきかと考えたとき,自立した個同士が力を合わせ,協力し,あるいは相乗効果をあげるような関わりを考えるのは,当たり前のステップアップです。

したがって,順番としてまずは自立すること。教育の目的は「自立」するための支援です。
自立しないままに,他者への協力を求めるのは依存です。たとえば赤ちゃんが誰の助けもなく生きていくことは不可能であることからわかるように人間はみんな始まりは「依存」です。そして,赤ちゃんの求めは,当初はほとんど応じてあげなくてはなりませんが,依存しなくてはならない課題は徐々に減っていきます。これが自立支援のプロセスです。

年齢を重ねることで,子どもたちは自分でできることが増えていきます。
親は彼らがまだひとりでは難しい課題をクリアすることを支援します。

困っている子どもに手を貸してあげたい。
しかし,困っていない子どもを助けるのは自立を妨げます。

親に求められた要求が依存なのか,支援を求めるものなのかを冷静に判断すること。自律分散型組織を意識しつつ,個の自立をまずは目指しましょう。お子さんにとっては,個の自立こそが,家族にとって十分な貢献です。親と子のコーチングは,横の関係を強く意識して,お子さんの自立を支援するための大事なコミュニケーション手法なのです。

というわけで,いかがでしたでしょうか。
今回は自律分散型組織という耳慣れない言葉とその必要性について考えてみました。
次回は「適切でない方法で所属感を満たすことの諸問題」を考えてみようと思います。

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子どもたちは満面の笑顔で”自分の好き”や”最近の興味関心”を延々と話します。
あんまり友だちと関係がうまくいっていないこと,わたしの言い分,友だちの都合もわからなくもないことを愚痴混じりでこぼします。
あるいは勉強したくない理由や,でもやらなくてはいけない葛藤を吐露することもあります。

そんな彼らの日々の奮闘ぶりを聴いていると時折思うことがあります。
彼らは彼らで,日々起こる出来事に対して何らか反応をしています。感じたり,思ったり,考えたりしています。

それはもしかしたら僕たち大人から見れば,単純で,思慮が浅くて,見通しが悪くて,感覚的で,非論理的で,非合理な内容かもしれません。

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